オマール・ベルの世界:キャプション「パパの言うとおりにしなさい」  ブライアンは、アパートにいて、椅子に座り、無為に指を吸っている。彼のふたりの娘たちは、この週末、よそに出かけててお泊り。だからブライアンは特に何もすることがない。 グレートチェンジの前だったら、彼は悪友たちとビールを飲みに出かけていたかもしれない。だが、彼は、身体が変化してからというもの、ずっと、そんな気になれないのだった。 それより何より、彼は極端にエッチな気持ちになっていた。彼は、自分でも気づかぬうちに、玄関を出て、ちょっとしたお楽しみを求めて、玄関を飛び出していたのだった。 ああ、この、ほんのちょっとの短い年月の間に、いかに世の中が変わってしまったことか…… *****  ヤリたがっていそうな相手を見つけるのに時間はかからなかった。なんだかんだ言っても、ブライアンは(この歳であっても)実に可愛いボイだから。彼が舗道を歩いていると、男が車を寄せてきて、乗らないかと招いた。もちろん、ブライアンは飛び乗った。ふたりとも、何をするための状況か、ちゃんと認識している。男はブライアンのお尻を見たがった。そしてブライアンも喜んで見せてあげた。 *****  ブライアンがズボンから男のおちんちんを引っぱり出して、口に咥えるまで、そう時間はかからなかった。 でも、頭の中、ぼんやりとだけど、ちょっと罪の意識があった。自分って淫乱なの? でも、ちょっとそう思っただけで、後は、そんなこと気にしないことにした。自分は大人のボイなのだ。だから当然、自分には、エッチな気持ちになったら、欲しいモノを手に入れる権利がある。 *****  それから20分もしないうちに、ブライアンは寝室に通じる階段を男を連れて上がっていた。自分の丸いお尻に男が興奮してるのが分かる。それに、自分のあそこも期待して濡れてきているのを感じる。 *****  ブライアンは、その男の正面に向き直り、裾の短いシャツを捲り上げた。そうして、固くなった乳首を露出した。 下に目をやると、男のズボンの前が盛り上がっているのに気づく。ああ、素敵! この人、その気になっている。 ブライアンはにっこり微笑みながら、床にひざまずいた。 *****  ブライアンは、これまでの人生で、そんなにたくさんおちんちんをしゃぶってきたわけではない。確かに、他のたいていのボイ同様、グレートチェンジの直後は、ちょっと狂ったようになったし、それなりにたくさんの男たちとセックスしてきたけど、でも、何か異常なことでも何でもなかった。とは言え、自分でもフェラがかなり上達したかなと感じていて、今も、彼の前にひざまずき、大きな黒いおちんちんに、知ってる限りのテクニックを使って奉仕した。 *****  ブライアンは、男に、ドレッサーに手をつき、身体を寄せるようにさせられ、鏡に映る自分の姿を見た。 ああ、入れてもらえて、すごく気持ちいい。気持ちが解放される感じ。本当に久しぶりだったから。最後に男と親密になってから、ほぼ半年ぶりだから。 ふたりの娘の子育てとか、フルタイムで働いていたりとかで、ブライアンにはこんな時間が持てなかったのである。 *****  イクのは100回目になるんじゃない? そう思うほど何度もイカされ、そしてまたもブライアンは絶頂に達し、叫び声を上げた。この人、スタミナがあって、本当に良かった! ブライアンは身体を上下に揺さぶり続けた。大きくて黒いおちんちんが、濡れたアナルにズブズブ、出たり入ったりを繰り返すのを感じる。 絶頂に達するたびに、彼の半年に渡るストレスが溶けて消えていく…… *****  騎乗位を続けていたブライアンに、やがて疲れが出てきた。そこで彼は四つん這いになり、男に動きを任せることにした。男にこの仕事を任せて正解だった。男は、杭打ち機のようにブライアンに激しく打ち込んだ。 *****  次から次へと体位を変え、ブライアンは動き続けた。時の流れが意味を失っていく。ブライアンはこの行為に耽り続ける。あるのは快感だけ。 *****  ブライアンは、ふたりの娘が帰宅していて、見ていたことにすら気づかなかった。もちろん、ブライアン自身は娘たちに知らない男とセックスしてはダメと注意し、愛しあってる人が現れるまで待ちなさいと言っていたのだが。 この娘たちは理解しただろうか? あるいは自分たちの父親のことを偽善者だと思うだろうか? ブライアンは、この問題については、後で考えなければならないだろう。というのも、今は、彼はちょっと気が散っているから。 (おわり)
「デビッド、今夜のあなた素晴らしい出来だったわ」 とキムはアパートに帰る車の中で言った。「性的な面での抑制心を取り払えるようになるまで、もう何日かかかるかと思っていたけど、今日は驚いちゃった。もちろん、テクニックについてはもっと訓練しなくてはダメだけど、スタートとしては最高の出来よ」 ふたりは、あの後も2時間ほどストリップ・クラブに留まっていた。デビッドは自分でも予想外だったが、クラブにいて実に楽しかったと思った。知識としては、自分の身体が男たちのフェロモンに反応しているだけなのだと分かっていたが、男たちに惹かれる気分を否定はしなかった。その気持ちは否定しようがなかったのである。 これから先、自分の精神は、男性の身体の光景と、欲望の感情とを連合するようになっていくのだろう。それも知識として知っていた。そして、やがて、(写真を見るとか、遠くから見るとかといった)フェロモンが放出されていない環境でも男たちを魅力的だと感じ始めるはずだ(いや、もうすでにそうなり始めているかもしれない)。それらすべてを知識として知っていた。だが、そういう衝動について知識を持っているからといって、その衝動を抑制できるわけではない。 「このトレーニングの期間中は、私のアパートに住むことにして」 とキムは、アパートの建物の駐車場に車を入れながら言った。「あなたは、アパートの中では常に全裸で過ごすこと。あの厄介な自意識が、また頭をもたげてきたら困るから。そうでしょう? あなたは、自分がどういう身体をしているかに慣れる必要がある。人々が、その身体にどういう反応をするかにも」 そして、トレーニングは2週間近く続いた。デビッドは、日中の大半をバレエの訓練とボイらしい振舞いの練習に費やした。夜になると、毎晩、キムに連れられて、様々なクラブに通った。通ったクラブには、最初の夜に連れて行かれたようなストリップ・クラブもあれば、もっと普通のダンス・クラブもあった。いったんデビッドがこの役割になりきると決めた後は、すべてが順調に進み始めた。デビッドにも分かっていたが、そうなった理由のひとつには、自分の心が無意識的に新しい立場に順応しようとしていることがあるのだろう。だが、彼はそれに加えて、意識的に、キムが求めているようなボイになりきろうと自分を強いていたところもある。 クラブ好きのボイという役割を演じつつも、デビッドは、何度も性的誘い受けてはいたのだが、それをすべて断り続けていた。あの、男性との生れて初めての親密な接触の後、デビッドは不安を感じていたのである。彼は、身体の変化よりも、感情の奔流の方を、はるかに恐れていた。 だが、いつかはやらなければならない。実際にミッションに出る前に、少なくとも一度は、男性とのセックスの経験を持たなければならないだろう。それは知っていた。だが、彼はできるだけそれを先延ばしにし続けてきたのだった。 割り当てられたトレーニング期間が終わる最後の夜だった。キムとデビッドが、あるクラブから別のクラブへと、車で移動している時だった。キムがその話題を切りだしたのである。 「分かってると思うけど、アレ、やらなきゃダメよ」 とキムは言った。 デビッドは、何のことを言ってるのか分からないフリをしてキムを見た。 「男とアレをするの。その体験は、本当にボイになるのに重要な部分だから。それはあなたも知ってるはず。これまでずっと、あなたが自分の意思でしてくれたらと期待してきたけど、もう、無理みたいね。あなたにとってキツイことだというのは分かってるわ。もし、望むなら、私も加わってもいいのよ。多分、その方が、より……よりナマナマしくならないだろうと思うし……」 キムのあからさまな態度にデビッドは少し驚いた。だが、キムは勘違いしていると思った。彼は、男性とセックスするということを、それほど気にしていなかった。むしろ、その時に自分がどういう反応をしてしまうかの方が不安だったのである。セックスに夢中になり精神のコントロールを失う。それだけは避けたい。 とは言え、最後にはデビッドも了解した。彼の返事を聞いたキムは、むしろ興奮しているように見えた。 次のクラブに着き、ふたりは中に入ったが、男を見つけるのにほとんど時間はかからなかった。なんだかんだ言っても、キムもデビッドも、際立って美人であるのだ。セクシーでゴージャスな美人ふたりに、一緒に3Pをしようとノリノリで誘われて断れる男はほとんといないだろう。 * その夜、キムとデビッドは、アパートに戻り、背が高く逞しい肉体の黒人男を部屋の中に入れた。部屋に入って何分もしないうちに、3人とも裸になり、互いにキスをしていた。デビッドは意識的に抑制心を心の奥に封じ込め、行為に熱心に加わった。 3人のかわるがわるのキスは、すぐに次の段階に変わった。ボイと女性のふたりが床に並んでひざまずき、そのふたりの前に黒人男が屹立している。 最初に男の一物を咥えたのはデビッドだった。キムは、そのデビッドの姿を見ながら満足げに笑みを浮かべていた。彼がずいぶん上達していたからである。 その後、ふたりとも男の股間に顔を寄せ、片方が肉茎を吸う時は、もう片方は睾丸を舐めたりキスをしたりをし、それを頻繁に交替して口唇奉仕を繰り返した。何分か経ち、男は準備が整った。 キムはデビッドを促して、仰向けにならせた。そして彼の両脚を大きく広げた。小さなペニスが固くなっている(しかも、最大勃起の7センチになっている)。男はデビッドの上に覆いかぶさり、何の愛撫もなく、いきなり彼に挿入した。 強引な挿入だったが、男はお構いなしに突き入れ、デビッドの未踏のアナルに根元まで挿しこんだ。デビッドは痛みに悲鳴を上げた。男のソレは巨大だったから。だが数回出し入れされるうちに、その痛みが快感に変わる。男は出し入れを繰り返した。 抽迭は2分ほど続いた。デビッドはもっと続けてほしかったが、引き抜かれてしまう。今度はキムの番だった。キムは四つん這いになり、男に後ろからしてもらった。デビッドはキムの身体の下に入り、彼女の乳房を舐め吸いした。 キムとデビッドは何度か交替し、かわるがわる男にしてもらった。だが、男の方もスタミナ切れになってしまい、途中で止めて、ふたりに電話番号を伝えた後、帰ってしまった。途中までだったが、デビッドは満足していた。まだ淫らな気持ちが残ったままであったが、それでも満足していた。 翌朝、デビッドは目を覚まし、隣に寝ているキムを見た(ふたりは男が去った後、しばらく互いに愛撫し続け、その後、眠りに落ちていたのである)。キムを見ながらデビッドは思った。なぜ、男とセックスすることをキムがあれだけ勧めたか、その理由が分かったと思った。それを経験した後、人生に対する見方全体が変わったのである。 多分、後悔することになると予想していたのだが、そんな感情はなかった。薄汚いことだとも思わなかった。ごく当たり前のことだと感じられたのである。そんな印象を持つとは、自分でも不思議だと思ったが、キムが書いた記事のことを思い出した。自分はボイである。ボイは男と一緒になるものだ。……あれを書いた時点ではキムは実際を知らなかったはずだが、今になって思うと、その記述が実に正しいと思うのだった。 * その日、デビッドとキムは本部に出頭した。すべての職員がふたりに目を釘づけにした。いや、たぶん、デビッドに目を釘づけにしたと言った方が正しいだろう。 この日、ふたりはオーウェンズ、サイクス、ダンズビイと会議があった。ふたりは会議室に急いだ。 オーウェンズは、前に見た時より、見栄えが良くなっていた。どうしてだろうかとデビッドは考えたが、すぐに、この年配のボイが化粧をしていることに気がついた。ダンズビイは相変わらず肥満気味だったが、若干、体重が減っているのが分かった。彼も化粧をしていた。その結果、わずかに上品に太った中年ボイの風貌に見えた。 デビッドは、キムの後ろについて会議室に入った。その時の反応で、デビッドのトレーニングの効果がはっきり出ていることが分かった。彼は、ミニスカートのビジネススーツを着ていた。彼は自分が人の目を惹く姿であることを自覚していた。 「わーお!」 とダンズビイが大きな声を上げた。「この変わりようは……」 「目を見張る!」 とオーウェンズが言葉を引き継いだ。 「ふたりとも、素晴らしい仕事をしてくれたようだね。正確にどこが変わったのか、具体的に指摘はできないが、だが……姿勢が変わったのは分かる。それに以前より、ずっと優雅な身のこなしになっている。でも、それ以外にも何かがあるような……」 「ありがとう」 とキムとデビッドが笑顔になり、口を合わせて感謝した。 「実を言うと、私は、この前の時は懐疑的だったんだよ」 とサイクスが言った。「だが、今なら大丈夫だ。私からは全面的にサポートをすると約束しよう」 「だが、やはり訊いておかなければならないことがある」 とオーウェンズが言った。「このミッション、君は本当に遂行したいのかな?」 「どういうことです?」 とダンズビイが訊いた。 「ボイたちのことだよ。我々は、本当に、彼らボイを元の姿に戻すことを望んでいるのだろうか、ということなんだ。ちょっと話しを聞いてくれ。例のボイらしさ推奨キャンペーンはしっかりとした成功を収めてきた。ボイたちへの暴力といった問題を懸念したが、その数は少ない状態になっている。国内での女性とボイの間で生じたわずかな問題は別にすれば、の話しだけれどもね。特に、黒人女性が、従来は自分たちのテリトリーだったと思っていた部分、つまり黒人男性だが、それを我がものにしておこうと極めてアグレッシブになってきているのは事実だ。だが、それを除けば、この国の全体的な暴力事件は、以前と比べると、ほぼ30%も減少している。各都市での犯罪件数で言えば、約40%もの減少だ。こんな減少は、前例がないのだよ……」 とオーウェンズは説明した。 「……統計によると、従来、白人男性が占めていた肉体労働関係の仕事について、黒人男性への求人需要が急速に高まっているらしい。専門職についていたボイの大半は、同じ専門職で着実に生活を続けているし、技能職のボイたちも同様に職を保持している。だが、主に建設・建築関係であるが、多くの肉体労働職は黒人男性に行くようになってきているのだ」 「それは、どういう意味ですか?」 とジョーンズが訊いた。「つまり、現状のままにしておくべきだと? 現状のままにしておき、この先どうなるか見守るべきだと?」 「いや、ちょっと冷静に考えてみるべきじゃないかと言っているのだよ。実際、我が国の経済は成長してきている。犯罪率も、前例がないレベルまで低下している。確かに、適応や調整のために時間が必要だろう。だが、国全体が、過去何十年間もなかったほど、良い状態になっているのは事実なのだ」 「しかし、適応していないボイについてはどうなるでしょう?」 とジョーンズが答えた。「そういうボイたちは現実にたくさん存在します。統計数字が彼らについて何も語っていないからと言って、彼らが存在しないということにはなりません。彼らはできる限り良い人生を送ろうと何とかして生活している。だが、彼らは自分たちは、本来あるべき姿ではないと思い悩んでいるのです。そういったボイたちのことに耳を傾けたいと思う人はいません。その結果、彼らはただ無視されるだけになっている。家に引きこもって、めったに外に出ず、ましてや変化した自分を受け入れることなどできずにいるボイたち。誰も、そんな落ち込んだボイたちの悲しい話しを聞きたいとは思わない。国全体の犯罪率を下げたいという理由で、彼らに、どうとでもなれと言うのは良いことでしょうか?」 「私は、全体的な観点から考えてみるべきじゃないかと言っているだけなんだが」 とオーウェンズは答えた。 「やはり治療法は手に入れる必要があると思います」 とキムが口を挟んだ。「彼らには、自分が望む人生を送ることができるようにすべきです。ボイと男性のどちらで生きて行くか、その選択肢を与える必要があると思います」 「私も同意だ」 とサイクスが言った。 「ダンズビイ? 君はどう思う?」 とオーウェンズが訊いた。 ダンズビイが答えた。「私は今の自分で幸せです。ですが、そうじゃないボイたちのことも知っています。心の底では、本来の自分ではないと思っている何か。彼らは、そういう存在として人生を送っていかなけらばならない。でも、そうであってはいけないと思います。端的に言って、このミッションは続けるべきです。化合物を入手し、治療法を開発できたら、上出来。もし、そうできなくても、少なくとも、我々はそうしようと頑張ったとは言えると思います」 「どうやら、この話は私の負けのようだね」 とオーウェンズは言った。「それじゃあ、作戦の詳細に取り掛かろう」 そして5人は計画を練り始めた。 *
ふたりは、「ユニバース」という名のクラブの前にいた。クラブの看板のところに「100%アメリカ産牛肉」という文字があった。だが、それがどういう意味かを考える間もなく、デビッドはキムにクラブの中へと引っぱりこまれた。店内に入る。デビッドは、目にした光景に言葉を失った。 ステージの上、筋肉隆々の逞しい男たちがいて、ストリップをしている。 大半は黒人男だが、ラテン系の男もふたりほどいたし、東洋系の男もひとりいた。服を脱ぐ途中の段階の男たちがいて、まだ、それぞれのコスチュームを身につけていたが、Gストリングのビキニだけになっている男たちもいて、かろうじて男根が隠せている状態だった。そして、当然ながら、素っ裸になっている男たちもいた。踊るのに合わせて、長大なペニスがぶるんぶるん揺れていた。 一方、客の方に目を向けると、女性とボイの両方がいた。年齢層も容姿も様々だった。すべてのボイがデビッドほど運が良いわけではなかった。太ったボイもいれば、醜いボイもいたし、可愛いボイもいた。若いボイも、中年のボイも、年老いたボイも、皆、熱心な客になっていて、ステージ上の筋肉の塊のような男たちにドル札を投げたり、Gストリングズにお札をねじ込んだりしていた。 デビッドも、男性ストリップ・クラブが最近はやっているのは知っていた。だが、ただの統計数字としてのみ知っていたにすぎない。こんな赤裸々な場所になっているとは思ってもみなかった。現在でも、女性ストリップのクラブの方が数は勝っているが、男性ストリップのクラブとの数の差は徐々に狭まってきていた。 それも当然と言えた。今や、潜在的な客数は男性ストリップの方がはるかに多いのである。それに応じて市場が変化するのも当然であった。 「ここで何をするんだ?」 とステージ前の席に腰を降ろしながら、デビッドはキムに訊いた。 「あなたは、この状態に慣れる必要があるの。ミッションの間、あなたはクラブ好きのボイとして潜入するんでしょう? だったら、本物の男たちとかなり親密に接することになるのよ。今のあなたみたいに、慎まし深い態度ではダメなの。前にも言ったように、抑制の心を解放しなければならないわ。自分はボイであることを受け入れなければならないの」 とキムはズンズン鳴り響く音楽の中、説明した。 「じゃあ、淫乱のように振舞わなければならないと? 知ってると思うが、ボイがみんながみんなそうなるわけじゃない。たいていのボイは、変化の前と同じ生活を送っている……」 キムが彼の言葉を遮った。 「でも、あなたはそういうボイのふりをするわけじゃないでしょ? あなたは、カネをもらって、裕福な男のセックス相手になる、そんなタイプのボイになるわけでしょ? だったら、そういう人間にならなければ」 確かにそうである。デビッドは、キムに言われたことを念頭に置きながら、近くで踊るダンサーを見続けた。そのダンサーは、カウボーイのコスチュームで現れ、踊りながら徐々に服を脱いでいき、最後は、乗馬用のチャップス( 参考)だけになっていた。 デビッドのすぐ近くで、そのダンサーの大きな黒いペニスが、踊りに合わせて跳ねていた。そして、デビッドは自分の小さなペニスが勃起していることに気づきうろたえた。さらには、思わず、ダンサーにお札を出すことまでもしてしまう。 「すぐ戻ってくるわね」とキムは、人ごみの中に姿を消した。デビッドは座ったままだったが、どこかそわそわしていた。 しばらくすると、キムが戻ってきて、デビッドの手を掴んだ。彼女の手の方が大きかった。 「一緒に来て」 キムはデビッドを奥の部屋へと連れて行った。用心棒の男がカーテンを抑えて、ふたりを中に入れた。中に入るとキムはデビッドを椅子に座らせた。 「これから何をするんだ?」 とキムに訊いたが、デビッドは何が起きるか、充分、知っていた。 上半身裸の男が入ってきた。ムキムキの身体で筋肉が盛り上がっていた。 キムがその男に言った。「この人、私のボイ友だちなの」とデビッドを指差した。「彼にいい思いをさせてあげて」 そう言うなりキムはカーテンの向こうへと去ってしまった。 男はダンスを始めた。最初にズボンを脱ぎ、続いて、下に履いていたGストリングも脱いだ。男はダンスしながら、ペニスをデビッドに擦りつけたり、彼の顔の前でぶらぶら揺らして見せたりをした。 「触ってもいいんだぜ」 とストリッパーが言った。「そこに座っていなくてもいいんだ」 そう言い、男は後ろ向きになり、デビッドの顔に尻を突き出した。 デビッドは自分の役割を知っていた。恐る恐る手を伸ばし、男の逞しい尻肉を優しく撫でた。大理石のように固かった。 「ほらほら、もっとリラックスして!」と男はデビッドを促した。 その促し通りに、デビッドは気を緩めた。彼は興奮して、淫らな気持ちになっていた。これまでのデビッドであれば、こういう淫らな本能を制御しただろう。そういう習慣を守ってきたからだ。すべては冷静に、計算しつくし、本能を心の奥にしまいこむ。男性であった時ですら、彼は滅多にハメを外すことはなかった。確かに性的行為を行う相手はたくさんいたし、そういう行為も行ってきたが、普通は、単なる性欲の発散のためだけであった。女性に惹かれるし、興奮もする。だが、そういった欲望は、いつも心の奥にしまいこんでいた。 だが、今は、違っていた。抑えきれないものを感じる。彼は押さえこんでいた欲望を解放し、前面に溢れ出て来るのを止めなかった。いや、もっと言えば、自ら欲望を駆り立てたとも言える。ミッションのためという大義もあり、強制的に自分を興奮した状態にした。溢れそうになっていた貯水池の水門を開くようなものだった。 すぐにデビッドは両手で男の身体じゅうを触りまくり始めた。男の固い腹筋に触れる。盛り上がった胸板を撫でまわる。大きく強そうな両腕に沿って手を滑らせる。そして、最後に、彼は男の半立ちの一物に触れた。 それは彼が想像したより柔らかかった。小さな手で、その大きく黒いペニスを握った。握りきるのがやっとの太さだった。そのペニスは、彼が握ったことに反応し、少しずつ固さを増し始めた。 そして、デビッドはゆっくりとしごき始めた。ペニスを握った感触を楽しむように、ゆっくりとしごき続ける。やがて、それはどんどん固くなり、完全に勃起した。その状態になると、デビッドはほとんど本能的に、何も意識せずに、顔を寄せ、先端を舐めたのだった。その時になって、自分の行為に気づき、彼は顔を引いて、恥ずかしそうに言った。 「あ、ごめんなさい。私……」 「いいんだぜ。したいことをすればいい。お前のカネでやってるんだからな」 と男はニヤニヤしながら言った。「舐めたかったら、好きなだけ舐めていいんだぜ」 デビッドは恥ずかしそうに微笑み、再び顔を近づけた。最初は舌を伸ばして、先端を舐めるだけだった。片手で男の重たそうな睾丸を撫でながら、もう片手で男の逞しい胴体を擦りまわった。 だが、2分ほどすると、彼は亀頭を口に入れ始めた。彼の小さな口には大きすぎる亀頭だったが、デビッドはやり遂げると決意していたし、何より、淫らに興奮もしていた。それから程なくして、彼は肉茎を吸いながら、頭を上下に振っていた。 これがデビッドにとって初めてのフェラチオだった。短時間で終わったし、汚らしい行為であったし、唾液でベタベタした行為でもあったが、最後までやり遂げた。ストリッパーはデビッドの口の中に射精した。塩辛い味がした。 男が身体を引き、ペニスを引き抜くと、デビッドは口の中のものを床に吐き捨てた。 「飲み込むボイだとばかり思ってたが」 とストリッパーは肩をすくめた。「やりたくなったら、また来いよ」 彼はGストリングを履きなおし、部屋から出て行った。 *
その日、デビッドは本部に戻り、仕事を続けた。書類の調査に集中しようとした。だが、時々、どうしても意識がその日の他の出来事に逸れてしまうのだった。 自分たちは、白人男性たちに、男らしさを捨てて、男性に惹かれる気持ちを受け入れるよう励まそうとしている。自分たちは、本当に正しいことをしているのだろうか? そうする必要があると完璧に信じているが、それでも、正しいことなのだろうかと思わずにはいられない。 そのような考えを一時的にせよ忘れることができても、今度は、自分が着ている服装に意識を持っていかれてしまう。着心地が悪いからというわけではない。どちらかと言うと、こういう服装をしていることにより、人の視線を浴びてしまうことの方が気になって仕方なかった。彼は目立たないように行動することを信条にしてきた男なのである。というわけで、デビットは大半の時間を自分の小さなオフィスで過ごし、極力、外に出ないで過ごした。 何日かが過ぎた。デビッドは、ゆっくりとではあるが、ベル博士の財務状態についてのプロフィールをまとめつつあった。そして、3週間後、ようやくそれが完成した。 ベル博士の動向を知るまでには、それからさらに1ヵ月を要した。博士は巨大な豪華船を購入していた。そして、デビッドは、何人かの情報提供者を通して、ベル博士がその船を移動可能な作戦基地として利用していることを知った。だが、この事実は、多くの困難さを提起するものでもあった。その困難さの中でも一番は、ベル博士は、基本的に、いつでもどこにいるか分からないという点である。どこに出現してもおかしくない。情報提供者たちによれば、博士は、何ヶ月も上陸せず、船上にいることが多いらしい。 一方、デビッドたちのプランの方は順調だった。「ボイ」という言葉は、今や白人男性を表す用語として受け入れられていた。そしてボイたちは、かなり女性的な服装をするようになっていた。さらに、ボイたちが、(普通は黒人だが、化合物の影響を免れた他の人種の男性も含む)男性と腕を組んで歩くのを見かけることが急速に普通のこととみなされるようになっていた。だが、中でも最も顕著なこととして、ボイたちが冷静さを保っていたことがあげられる。抗議活動はごく少数にとどまった。デビッドは、そういう活動をするボイたちは、何に抗議しているのか自分たちでも分かっていないのではないかと思った。何らかのやるせない気持ちをぶつけているだけなのか。ともあれ抗議活動は確かにあった。 デビッド自身の服装だが、彼の人生での他の事案同様、彼は自然と新しい服装を受け入れた。初めてハイヒールを買った日から1週間のうちに、ハイヒールを履いて歩くことを習得したし、新しい服を着るのにも今では慣れている。自分ひとりで女性的な服装で外出し、新しい服を買うこともできるようなっていた。 だが、彼にはある問題があった。外に出ると、人々の注目を浴びてしまうことである。最初、彼は、自分が女の子のような服装をしているから、人々にじろじろ見られてしまうのだと考えた。確かに、彼が女性的な服装で外出し始めた時は、そういうボイは珍しかったのは事実である。だが、他のボイたちも同じような服装をし始めた後も、彼への視線は収まらなかった。人々は、デビッドが女性的な服を着ているからじろじろ見るのではない。そうではなくて、デビッドのルックスのせいで彼をじろじろ見てるのだ。 それまでのデビッドは、目立たないようにすることを当然としてきた。実際、周囲から目立たないということが、この業界での彼の最大の長所だったのである。当然、人々に称賛の目で見られることに彼は慣れていなかった(そういう視線を向けるのは、何も男性ばかりではなかった。誰もがあこがれの人を見るような目で彼を見るのだった)。 デビッド自身は、そういうふうな目で見られるのが好きではなかったが、彼が嫌がったからといって、人々がそういう視線を向けなくなるわけではない。彼は、たびたび、男性から言い寄られたこともあり、自然と、そういうアプローチを上品に断る方法も身につけていた。 時は流れ、物事はある一定のリズムに落ち着き始めていた。デビッドはさらなる情報を待ち続けていた。ベル博士は、化合物を放出した1年後、一度だけ、短期的に姿を現したらしい。だが、彼を拘束する前に、素早く身を隠してしまった。だがデビッドは辛抱強く待った。注意深く観察を続け、待ち続けた。 14か月が経った。ある日、デビッドは彼の情報提供者のひとりから接触を受けた。その情報提供者が言うに、ベル博士は、補給のため2ヶ月から4ヶ月ごとに、その情報提供者が住む都市にやってくると言うのである。加えて、博士はよく地元のクラブにこっそり姿を現し、彼のハーレムのための人材を集めると言う。ベル博士が性的にきわめてアクティブなのは明らかだった。彼は、女性やボイを集め、一定期間、彼の船の上で生活することの代償として、よろこんで極めて高額の金を払うらしく、彼には、魅力的な性交相手が欠けることがないらしい。 これこそ、デビッドが待ち続けていた突破口だった。ベル博士が立ち寄る街は分かった。そこに行き、待ち続ければよいのだ。いつかは分からないが、必ず博士は姿を見せるだろう。デビッドは、この新情報を手に、オーウェンズのところに行くことに決めた。 * 「では、君はそこに行って彼を捕まえたいと言うことだね? その目的は?」 とオーウェンズが尋ねた。 「彼を拘束し、治療法を作らせることです」 とデビッドは答えた。 「いや、あいつは、従わないんじゃないかな。諦めるくらいなら、留置所でのたれ死ぬ方を望むはずだ」 とサイクスが口を挟んだ。 「どうかな。何か他のことがあるかもしれない」とオーウェンズが言った。「確かに治療法の開発は、長期の目的だ。だが、とりあえず、誰かをベル博士の船に潜り込ませる必要がある。ベルは船上で仕事を続けている可能性が高いからね。ひょっとすると、あの可能物の原料サンプルを持っているかもしれない。それを入手できたら、リバース・エンジニアリングの手法で、治療法を開発できるかもしれない」 「そういうことが可能なのですか? だったら、大気に放出された化合物からでも開発できたのでは?」 とジョーンズが訊いた。 「ダメなのよ」 とキムが答えた。「大気に出されたのは、逆開発ができないほどまでに劣化されたものなの」 「それで、計画は?」 とサイクスが言った。 「もう、はっきりしているのでは?」とジョーンズが答えた。「ベル博士の船には、唯一と言える弱点があります。彼が船に連れ込む女やボイたちです。我々は、誰かをそれに混ぜて、忍び込ませるのですよ」 「だが、誰を?」とオーウェンズが訊いた。「女性のエージェント?」 「いいえ、私です」とジョーンズが答えた。 「だが……」 とオーウェンズが言いかけると、ジョーンズは遮った。 「私の情報提供者によると、ベル博士は、毎回、少なくともふたりから3人のボイを船に連れ込むらしい。それに、あえて謙遜せずに言えば、私は自分のルックスを知っています。私になら、この仕事ができます」 キムが口を挟んだ。「訓練なしではダメよ。あなたにはできないわ。確かにあなたは綺麗。それはあなたも知っている。でも、あなたはちゃんとした動きをしていないの。身のこなしや行動が、まだ、なっていないわ。まずは、心のカセを解放して、本物のボイになる必要があるわ。単にボイっぽい服装をするだけに留まらずに」 「じゃあ、本当のボイになる特訓が必要と言うことだね? 君はいろんなことを知っているようだ。私に教えてくれ」 とジョーンズは言った。 * というわけで、その日の午後、デビッドはキムのアパートに向かった。チャイムを鳴らすとキムが出迎え、彼を中に入れた。 「それで? どこから始めよう?」 とデビッドは訊いた。 「最初に言っておくけど、あなたは私が言うことにすべて従うこと。時間があまりないの。それに、多少、イヤラシイこともあると思う。だから、あなたの苦情を聞く余裕はないと思う」 「オーケー」 「じゃあ、服を脱いで」 デビッドは嫌そうにしながらも指示に従った。 キムは、素っ裸で立ったデビッドの周りをぐるぐる歩き始めた。 「スタートとしては良いわね。でも、立つときは、背中を少し反らすようにして立つこと。お尻を突き出すような感じにするの。……そう、それでいいわ。後で、あなたをバレ―スタジオに連れて行くわ。優雅さを身につけるには、バレーが一番。その後で、ふたりで街に行きましょう。でも、どんな時も、今のように背中を反らし続けるように。それが、普通の姿勢になるようにしないとダメ」 そうして、キムはデビッドの前に来て、止まった。 「あなた、バージン?」 「いや」 とデビッドは憤慨した顔で言った。「童貞を失ったのは、私が……」 「その話をしているんじゃないの。私が訊いてるのは、アナルをされたことがあるかどうか」 「それはない」 「じゃあ、それも何とかしなきゃいけないわね」 「いや、私は……」 「反論はナシ。あなたはボイなの。ボイは男が好きなの。ボイは、男にアナルを犯してもらいたがるものなの。そういうふうに考えることができないなら、そもそも、今回のミッションに参加しようなんて考えないことね」 その後、キムはデビッドをバレ―スタジオに連れて行った。デビッドは、ピンク色のレオタードを着て、バレーの教師からレッスンを受けた。そのレッスンは、彼が予想したよりハードなものだったが、何とかやりきった。レッスンの後、キムに連れられ、再び彼女のアパートに戻った。 「あなた、ふさわしい服を持っていないでしょう? 私の服を着せることにするわね」 「これからどこに行くのか?」 「ついてくれば分かるわ」 キムは、自分の服から、明るい紫色のスカートを選んだ。スキャンダラスと言っていいほど、ミニのスカートだった。それから、太腿までの白いストッキングを選び、トップは、白のタイトなTシャツを選んだ。おへそが露出する程度の丈しかないTシャツで、前面に「Hottie(色気ムンムン)」という文字が書かれてあった。それら衣服を着ながら、デビッドは自分がマヌケになった感じがした。 デビッドが着替えを終えると、キムは、化粧の仕方を彼に教えた。アイラインに特別に注意を払った化粧をほどこす。髪はショートのままだった。 「ショートヘアにしてるボイはたくさんいるから、これは問題ないわ。……あ、後、最後にもう一つ。言葉づかいね。男の前では女の子っぽい言葉を使うように」 キムは、ようやくデビッドを連れ出しても良いと判断したのだろう。ふたりは街に出かけた。 *
その2時間後。ジョーンズが経理記録を調べている時だった。彼のオフィスにウィルソン女史が入ってきた。ジョーンズは顔を上げた。 「今、この記事を書いたところなの。これがあなたが思っていたことに当てはまるか、知りたくて。読んでもらえる?」 「いいとも」 とジョーンズは答え、ウィルソン女史は書類を手渡した。 その記事は次のようになっていた。 * * * * * 「調整するということ:すべてのボイたちが知っておくべきことのいくつか」 イボンヌ・ハリス著
数ヶ月前、オマール・ベル博士が大気に生物化学物質を放出し、それはこの何ヶ月かに渡って、私たちの白人男性に対する従来の考え方を効果的に根絶することになりました。男性的ないかにもアメリカ男といった存在は消滅し、その代わりに、小柄な(通常、身長165センチに満たない)男の子と女性の中間に位置する存在が出現したのです。ですが、そのことを改めて言う必要はないでしょう。あなたがこの記事を読んでるとしたら、自分がどう変わってしまったかを一番よく知っているのはあなた自身であるから。この記事の目的は、情報提供にあります。(以降、この記事ではボイと呼ぶ)白人男性たちが、依然として男性のように振舞おうとあくせくしている様子がいまだに続いています。それは間違いなのです。あなたたちはもはや男性ではありません。ボイなのです。それを踏まえて、この記事では、いくつかの主要な問題点に取り組むことにします。それは挙措、セックス(イヤラシイ!)、そして服装という3つの問題です。それでは、前置きはこのくらいにして、早速、本論に入りましょう。
すでに述べたように、最初の問題は挙措についてです。どういう意味だろうかと思うかもしれません。まあ、「挙措」とは態度、振舞いのことを言う気取った用語ですが、それ以上のことも意味します。挙措には、普段の姿勢から歩き方に至るあらゆることが含まれます。ボイたちが、これまでと違ったふうに振る舞うことを学ばなければいけないというのは、奇妙に思われるかもしれませんが、でも、率直に言って、あなた方が男性のように振舞おうとするのは、マヌケにしか見えないのです。10代の若い娘が、その父親のように振舞おうとする姿を想像してみるとよいでしょう。まさにそれと同じです。ボイが男性のように大股で歩くのを見ると、まさにそれと同じくらい奇妙に見えるものなのです。
ボイは、男性とは異なるがゆえに、男性とは異なるふうに振る舞うべきなのです。この点はいくら強調しても足りません。というわけで、外出しようとするあなたたちボイに、いくつか指針を提供しましょう。まず第1に、背中を少し反らし続けること。その姿勢を取ると、あなたのお尻を完璧に愛しいものに見せることになります。第2に、腰を少し揺らすようにすること。男性はそれが好きです(これについては後で詳しく述べます)。第3に、怖がらず、エアロビクスを行うこと。皆さんは身体の線を保つ必要があります。太ったボイは孤独なボイになってしまいます。個人的にはストリッパーのエアロビを勧めますが、他のどんなエアロビでもよいでしょう。ですが、私が提供する指針で一番重要なものは、次のことです。女性をよく観察し、彼女たちをまねること。皆さんは、女性にはるかに近い存在となっているのです(しかも、性的な目標もきわめて類似している。これについても、やはり、後で詳しく述べます)。そして、女性たちは皆さんよりはるかに以前から、これを実行してきている。なので、ボイたち、私たちを観察し、学習するのです!
触れなければならないふたつ目の問題は、服装に関する問題です。(あなたが、元々、発育がよくなかった男子だった場合は別ですが)みなさんの大半は、おそらく、持っている服のすべてが、もはや自分に合わないことに気づいていることでしょう。ですから、皆さんは、すべて新しい服を買い直す必要があります。たいていのデパートでは、直接ボイを対象にして、新しいセクションを開いています。なので、そこから始めるのが良いでしょう。ですが、予算に限りがあるならば、勇気を持って、あなたのサイズに近いガールフレンド、妻、あるいは姉妹から服を借りるとよいでしょう。
ただし、いくつか注意すべき点があります。まずは下着から話しましょう。ボイはパンティを履くこと。そうです。ブリーフやトランクスではありません。パンティです。みなさんの体形は、パンティを履くようになっているのです。パンティを履くことを好きになるように。私も、新しいセクシーなパンティを履くのが大好きです。それを履くと、自分に自信がみなぎるのを感じるものなのです。ボイの中には自分の女性性を完璧に受け入れ、ブラジャーをつけ始めた人もいます。そのようなボイたちの適応力に、私は拍手をします。ですが、私の個人的な意見を言わせていただければ、ボイはブラをつけるべきではありません。どの道、ボイには乳房がないのですから(今の時点では、なのかもしれませんが。気の狂ったベル博士が何をしたか、知ってる人は誰もいませんし)。皆さんは、女の子でもありません。ボイなのです。ボイには乳房はありません。ゆえにブラの必要はないのです。
アウターに関して言うと、基本的に女の子が着る服なら何でも適切と言えるでしょう。スカートからジーンズ、ブラウスからドレスに至るまで何でもよいでしょう。着てみて似合うと思ったら、着るべきです。注意すべきは一つだけ。(たとえサイズがかろうじて合うような物であっても)紳士服を着たら変に見えるということを忘れないこと。皆さんは、決して男性のようにはなれないのです。ですから、婦人服や、ボイ、あるいは子供服のセクションにある服に限定すべきなのです。
最後に、セックスについて少しだけ触れたいと思います。もし、この話題に関して嫌な感じがしたら、即刻、読むのを止めてください。
よろしいですか? まだ、読み続けていますね? よろしい。
ボイの皆さんは、性器に関してサイズが減少したことに気づいているかもしれません。この変化に気恥ずかしさを感じた人も多いことでしょう。でも、そんな恥ずかしがることはないのです! ボイが小さなペニスをしていることは完全に自然なことなのです。最近の研究によると、白人男性の平均のペニスサイズは4センチ程度になっており、しかも、それより小さいことも珍しくはありません(実際、私の夫は、2センチ半にも達しません。これ以上ないほどキュートです)。ボイの皆さん、心配しないように。そんなペニスのサイズなんて、もはや、それほど重要なことではなくなっているのです。そのわけをお話ししましょう。
皆さんは、以前に比べて、アヌスがかなり感じやすくなっていることに気づいているかもしれません。皆さんの身体はそういうふうにできているのです。その部分を、新しい性器だと考えるようにしましょう。女性にはバギナがあります。男性にはペニスがあります。そして、ボイにはアヌスがあるのです。恐れずに、その新しい性器を試してみるとよいでしょう。その気があったら、そこの性能を外の世界で試してみるのもよいでしょう。ガールフレンドから(あるいは、気兼ねなく言えるなら、姉や妹から)バイブを借りるのです。そして、街に出かけるのです。すぐに、そこが「まさに天国みたい」に感じることでしょう(これは私の夫の言葉です)。
さて、皆さんの人生にとって最も大きな変化となることが、次に控えています。多分すでに予想してることでしょう。そうです。ボイは男性と一緒になるべきなのです。これは簡単な科学です。ボイは女性とほぼ同一のフェロモンを分泌します。それに、男性のフェロモンに晒されると、ボイは女性とほぼ同一の反応を示すことも研究で明らかになっています。
これが何を意味するか? ボイの皆さん、気を悪くしないでください。ですが、皆さんは男性に惹かれるようになっているのです。もっとも、男性の方も皆さんに惹かれるようになっているのです。そのような身体の要求に抵抗したければ、してもよいでしょう。ですが、これは自然なことなのです。この事実と、皆さんが感じることができる新しい性器を持っている事実を組み合わせてみれば、なぜ、ベル博士があの物質を放出して以来、男性とボイのカップルが400%も増えたのか、その理由が分かるでしょう。
ボイにとって、ヘテロセクシュアルであるということは、男性を好むということを意味するのです。そのことを拒むボイも多数います。そのようなボイは、基本的にホモセクシュアル(つまりレズビアン)であることを意味します。あるいは、少なくとも様々な実生活上の理由から、レズビアンになっているということを意味します。多くの女性が、変化の前は、男性と結婚していた(または男性のガールフレンドになっていた)わけですから、変化後もその関係を続けるとなれば、ボイはレズビアンになることになるわけです。
一応、その事実を念頭に置いてですが、そういうボイの皆さんには近所の「アダルト・ストア」に行き、何か…突き刺すもの…を探すことをお勧めします。あなたもあなたのパートナーも共に同じ種類の欲求を持つので、おふたりが共に満足できるようなものを手元に置いておくことがベストでしょう。
これを読んでる皆さんの中には、まだ拒絶状態でいる人も多いと思います。厳しいことを告げる時が来たかもしれません。どうか、鏡を見てください。何が見えますか? その姿は男性ですか? 決してそうではないでしょう。その姿は女性ですか? いいえ、違う。鏡の中からボイがあなたを見ているはずです。ボイはボイらしく行動する時が来たのです。
カウンセリングが必要な人もいるでしょう。それは良いことです。政府は、そのような要求に備えて、国中にカウンセリング・センターを設置しました。そこに行くこと。そして新しい自分を受け入れる方法を学ぶことです。この記事が役に立てばと期待しています。それでは今日はここまで。ありがとう。次週は、パンティを履くことが、あなたに人間としてどのようなことを教えるかについてお話します。* * * * * ジョーンズは顔を上げた。「これは……完璧だよ、ウィルソン女史!」 彼女はにっこりと笑顔になった。「私のこと、キムと呼んでもいいのよ」 「ずいぶん考えてくれたようだね」 とジョーンズが言うと、キムは肩をすくめた。 「それじゃあ、もうひとつ、助けてほしいことがあるんだが……」 「どんなこと?」 「オーウェンズが、新しい服装が必要だと言っていた。それには僕も完全に同意している。今の服は全部、身体にあわなくなっているから。なので、新しい服を買うのを手伝ってくれるとありがたいんだ……」 キムはさらに嬉しそうな顔になった。「もちろんよ。で、いつ?」 ジョーンズは肩をすくめた。「今からではどう? いずれにせよ、ちょっと休憩しようと思っていたところだったし」 「ええ、いいわ。まずはすべきことから始めましょう? あなたのサイズが必要だわ。もう、身体の変化は止まったと思う?」 「ああ、そう思う。確信はできないけど。他の事例では、ほぼ1ヵ月で変化が止まっている」 「ここでサイズを測ってもいい?」 「ここでも、どこでも構わないよ」 ジョーンズがそう言うとキムは部屋を出て行き、2分ほどして戻ってきた。そして早速デビッドの身体のサイズを測り始めた。 ウエストは55センチ、ヒップは89センチあった。キムは、内また、腕、胸周りも計測し、メモに書いた。 そしてふたりは出かけた。 * それからしばらくの後、ふたりはとあるモールにいた。キムはデビッドの手を引っぱって、デパートの下着売り場に向かった。デビッドは、満足げにキムに主導権を任せていた。キムは山ほどあるパンティから彼のために様々なスタイルのパンティを選んだ。その後ふたりは、ビジネススーツ(もちろんスカートの)、ジーンズ、ショートパンツ、そしてトップスを買った。ドレスやスカートも買った。新しい靴やストッキングも。 モールの中を歩きながら、ジョーンズは、他のボイたちの姿を見かけた。どのボイたちも普通は女性連れで、恥ずかしそうな顔をしながら、婦人物のジーンズやTシャツを漁っていた。彼らは、そういう売り場にいて、見るからに居心地悪そうにしているが、かと言って立ち去るわけでもなかった。これは重要なことと言える。彼らはすでに、自分が以前とは異なった存在になっていることを受け入れ始めているのだ。ジョーンズらのプランによって、彼らが境界を超え、完全にこの立場を受け入れるようになるのは、時間の問題に思われる。 キムは買い求めた服がちゃんと合うか確かめたいと思い、本部に戻る前に、ふたりでデビッドのアパートに立ち寄ることにした。デビッドはひとつひとつ衣類を試着し、そのいずれも身体にぴったりであるのに気づき、驚いた。確かに、ジーンズやショートパンツは、履きなれたものよりちょっとぴっちりしていたが、不快というわけではなかった。そういう仕立てになっているということである。スカートやドレスに関しては、奇妙な感じとしか言えなかった。それらで身を包むと、どこか、自分が弱々しくなった感じになるのだった。 「ハイヒールを履いて歩くのを練習する必要があるわよ」 とキムは、スーツを着てリビングに入ってくるデビッドを見ながら言った。そのスーツの下には、パンティ、ガーターベルト、ストッキングを履いている。「ヒールなしでそういうスカートを着ると、変に見えるから」 「オフィスにはジーンズで行くことにするよ。まだ、僕は、スカートを履く準備はできてるとは思えない」 「どうかしら? 私にはとても可愛く見えるけど」 とキムは微笑んだ。 ジョーンズも笑顔を返し、また寝室に戻った。服を脱ぎ、ランジェリも脱いだ。そして、また別のピンク色のソング・パンティを履こうとした時だった。キムがドアをノックした。ジョーンズは新しい役割に慣れようと、パンティを履きながら、「どうぞ」と答えた。 「私ね……」 と言いかけてキムは言葉に詰まった。デビッドの姿を上から下まで視線で追っている。「知らなかったわ、あなたがこんなに……」 「女の子っぽい?」とデビッドが言うと、 「綺麗だなんて」とキムは答えた。「身体のサイズは測ったけど、でもこんなに……」 「ありがとう、って言うべきなんだろうな」とデビッドは言った。 ちょっと間があった後、キムは堪え切れなくなったかのように、口走った。「本当に、みんなが言うように、小さいの?」 「何が?」 と訊いたものの、ジョーンズはキムが何のことについて言ってるのか完全に知っていた。 「あなたの……アレ」 とキムは彼の股間を指差した。 ジョーンズはパンティを降ろした。 「まあ! すごくキュート!」 と言った後、キムは自分の口を手で覆った。「ああ、ごめんなさい! 気がついたら、言ってしまっていた」 「いいんだよ」とジョーンズは答え、パンティを引っぱり上げ、元に戻した。「いずれ、僕もそういうリアクションに慣れる必要があるんだから。それに、君が書いた記事によれば、これは完全に自然なことなんだよね。そうだろう?」 とジョーンズは微笑んだ。 *
その2時間後、ジョーンズは女性のローブを着て、ラクダの背中に乗り、サハラ砂漠を進んでいた。サミールがあんな短時間で見つけることができたローブはそれだけだった。 これからほぼ1週間は砂漠を移動することになる。そこでジョーンズは、それに応じた荷造りをした。 夜に移動し、昼は眠った。毎朝、テントを張る前に、自分の身体に起きた変化をチェックした。毎日、一定の割合で確実に体重が減っている。だが、尻は膨らみ始めていたし、腰も広がり始めていた。はっきりとは目立たないが、彼は気づいていた。 6日後、ジョーンズは収容施設に着いた。コンクリート製の巨大な施設だった。外見は何年も廃墟になっていたように見える。 ジョーンズはラクダを施設に近づけ、ドアの近くで降りた。ドアを試してみた。ロックされていた。 彼は小さなキットを出し、挿しこんだ。ドアは簡単に開いた。ポケットから懐中電灯を出し、施設に入った。 中を進みながら、ジョーンズは、第一印象が正しかったと思った。ここは、しばらく使用された後、廃墟とされたものだ。床は、厚い埃で覆われていた。彼は、ベル博士の足取りに関する手掛かりを得ようと、探索を始めた。 フィリップの元の寝室を見つけた。いまだに家具類は置かれたままだが、衣類を探したものの、それはなかった。次にダンス・スタジオを見つけた。さらに個室もいくつか。キッチンには食材はなかった。そして最後にベル博士のオフィスと思われる部屋を見つけた。中に入ると、ファイルのキャビネットがあった。 キャビネットの中を捜すと、ベル博士の経理記録が出てきた。これを調べるのは、時間も場所も都合が悪い。デビッドは部屋を出て、ナイロン製の大きな袋を持って戻ってきた。そしてキャビネットの中身を全部袋の中に入れ、探索を続けた。デスクで書類や通信文を見つけたが、それ以外には、この部屋では特に目立ったものはなかった。もっと言えば、収容施設全体でも、他には目立ったものは見つけられなかった。 ジョーンズは袋を持ち上げたが、その重さに危うく転びそうになった。自分は以前と異なり、今は痩せて小さくなっている。当然、筋力も減っている。それを思い出し、袋を抱えるのは諦め、床を引きずることにした。袋を引きずりながら収容施設の外に出た。袋をラクダの上に乗せるのには、ひと苦労したが、なんとかやり遂げた。 帰りの移動では特に変わったことはなかった。ただし、一度、大きな砂嵐に遭遇した。ジョーンズは、フランス軍が破棄したと思われる要塞に入り、そこで嵐をやり過ごした。だが、そのことにより、ほぼ3日の遅れが出た。 その3日間、彼は施設から取ってきた書類を調べた。そして、このベル博士に関わった人間が、予想以上に多いことに驚いた(もっとも、関わった人間の大半は、実際には、どんな事件に関わっているかまったく知らなかっただろうと推測できた)。書類の検討を通じて、ジョーンズはわずかながら有望と思われる手がかりを得ることができた。 砂嵐が去り、デビッドは再び帰路に着いた。サミールの元に戻ったのは、出発してから16日後だった。戻るとすぐに、彼は書類を箱詰めし、サミールに、それを本部に送ってくれと頼んだ。 「さてと、シャワーを浴びて、ちょっと眠ることにしよう」 とジョーンズは言った。 サミールはジョーンズをバスルームに案内した。ジョーンズは、中に入りローブを脱いだ。彼は意図したよりも長くシャワーを浴びた。長旅の後で快適だったからだ。 シャワーから出た後、鏡を見た。自分の身体は、最後に見た時に比べると、劇的に変化していた。身長はおおよそ160センチくらいだし、体重もせいぜい50キロ程度だろうと推測した。ベル博士の他の犠牲者たちに比べると、身体の曲線は目立たない。むしろ、痩せて、柳を思わせるしなやかな身体を思わせた。そうは言っても、曲線がまるでないということではない。ウエストは細く、腰は膨らんでいた。何と言うか、腰のあたりが長く伸びたような印象があった。 そしてペニス。元々大きなペニスをしていたわけではなかったし、実際に測ったこともなかったが、今の彼のペニスは5センチ足らずで、驚くほど小さくなっていた。 身体の変化は、ほぼ終結に近づいたと見てよいだろう。さらに身体が小さくなることだけは起きないでくれと願うだけだった。 * その2日後、デビッドはアメリカに戻った。そして本部に直行した。本部に着くと早速、ウィルソン女史が彼を出迎えた。 「あなたが戻ってくるのを待っていたのよ。会議室に来て」 デビッドは頷き、彼女の後に続いて歩いた。今や、ウィルソン女史の方が彼よりかなり背が高くなっていた(ヒールを履いているのでなおさら)。 会議室に入り、デビッドは少し驚いた。部屋にはオーウェンズ氏、ダンズビー氏、そして知らない黒人男性がいた。ウィルソン女史と椅子に腰を降ろしつつ、デビッドは、ふたりの白人男性の姿の変化にどうしても気が取られるのだった。 オーウェンズ氏は、60歳近くになっているが、そもそも、小柄な男性だった。それが今は、153センチほどになっており、はっきりと小さくなった印象があった(ひょっとすると140センチ台かもしれない)。顔つきも明らかに女性的になっており、世界で有数の秘密組織を指揮する人物というよりは、スーツを着たおばあちゃんといった風貌になっていた。 ダンズビー氏も小さくなっていたが、印象としては、脂肪分が減ったという感じが強い。ベル博士の化合物は、元々、太っていた人間については、その部分を変えることはないようだった。ダンズビー氏は、太った中年女性のような風貌になっていた(乳房があれば、完璧にそう見えるだろう)。髪の毛すら、前より増えている。 「デビッド、掛けたまえ」とオーウェンズ氏が言った。「ダンズビー君とウィルソン女史については、すでに知ってるね。向こうにいるのは、フランク・サイクスだ」 デビッドは会釈をした。 「それで、何が分かった?」 とオーウェンズ氏が続けた。 ジョーンズは調査結果をすべて詳細に報告した。一通り報告を終えると、「これから、他の手掛かりがないか、これらのファイルの検討に入るつもりです」 と言った。 サイクスが口を挟んだ。「それで、君は、変化についてはどう対処してるのかね?」 「何とかやってますが?」 とジョーンズは答えた。「仕事は続けられますよ。ご懸念の点がその点なら、お答えしますが。それだけでしょうか? 私は仕事に戻りたいので」 「いや、まだダメだ」 とオーウェンズが言った。「政府は我々に他の仕事もするよう要求したのだよ。その仕事とは、影響を受けた男性が新しい状況にスムーズに移行できるように彼らを助けるという仕事だ。政府は、メキシコで発生しているような暴動を死ぬほど恐れているのでね。そこでだ。君は、みんなに起きていることに最も精通している人間だろう。我々は、そういう君の意見を聞きたいのだよ」 それを聞いて、ジョーンズは心のガードを緩めた。 「率直に言って、多くの人には、ちょっと背中を押してやるだけで良いでしょう。自分が感じてることを進めても良いのだと思わせるような何かがあれば充分だと思います。基本的に、我々がしなければならないことは、そういう男たちに、自分たちはもはや本当の意味での男ではなくなったのだと理解させることです。何か他の存在になったのだと理解させることです。そして、彼らにそういう存在であることを受け入れさせる必要があります」 「どうやって?」 とサイクスが訊いた。 「私が見てきたすべての事例において、極めて明瞭になったことがあります。それは、例の化学物質は、白人男性を、他の男性に心が惹かれるようになるまで、変えてしまうということ。もうひとつ、彼らにとってアナルセックスが非常に気持ち良いものであると判明していきます。このふたつがあいまって、相乗効果として、彼らは、何と言うか、本物の男たちにとって自然なセックス相手となっていくのです。したがって、我々は、彼ら白人男性に、そういった感覚を追及していっても構わないのだと思わせる必要があります。もし可能ならの話しですが、我々は、彼ら白人男性に、むしろ、そういう方向に向かうことを推奨すべきでしょう」 その話しを聞いて、皆、しばらく黙りこくっていた。その様子を見てジョーンズが切り出した。 「それは難しいかもしれませんが、可能であると私は思っています。言葉に言うほど単純なことではないのは確かですが、私はちょっとプランを考えています」 そしてジョーンズはそのプランの概略を説明した。それは3つの戦略からなるプランだった。ひとつ目は、白人男性に対して彼らが自分に対して抱く男らしさの概念を攻撃する戦略、ふたつ目は白人男性に新たな性衝動を追及しても良いのだと思わせる戦略。そして3つ目は、白人男性を他の男性から分離することを推奨する戦略であった。 最初の戦略が最も難しく、したがって最も複雑になるだろう。エージェンシーは、一連の記事をインターネットや様々な雑誌に仕込むことにする。そのような記事は、白人男性に対して、彼らは本物の男とはまったく異なる存在なのであり、この違いをしっかりと受け止めるべきなのだと納得させるのを意図している。記事の内容としては、白人男性はどういう服装をすべきかといった内容から、どのようにしたらセックス・パートナーを獲得できるかといった内容に至るまで、様々な内容を扱わせる。雑誌やネット記事に加えて、ファッション業界やエンタテインメント業界にも、その方針に合わせるよう仕向けることができるとサイクスは請け合った。様々なメディアを通して、白人男性を女性に極めて似た存在として描かせるように仕向けるのである。 ふたつ目の戦略は、よりトリッキーであり、第一の戦略と絡み合っている。概略的に言って、ポルノ産業を配下につけるとこが必要になる。様々なポルノ・メディアを通じて、白人男性が女性とセックスしようと頑張るものの、男性としては失敗に終わる描写、そして、白人男性が、本物の男性に対する従属的なセックス・パートナーとなり、そこに喜びを見つける描写を展開し、それを人々に見せる必要がある。 最後に、国の立法府を通して、白人男性と他の男性とを分離させる政策の法制化をプッシュする。トイレ、着替え室、(学校での)ロッカールームなどでは、白人男性と他の男性とを分けてそれらを設置しなければならないとする法律を定めさせる。それはふたつの目的にかなうだろう。ひとつは、その法律により、白人男性が性的に攻撃されることを防ぐことができる。だが、それよりも重要な目的として、その法律により、白人男性に、彼らが本物の男性にとっては魅力的に映っていること、それゆえ、分離する必要があることを認識させることになるだろう。 ブレインストーミングが終わり、会議も終わりにさしかかった時、オーウェンズが言った。 「ジョーンズ君、もうひとつあるんだ。この仕事を続けるに際して、我々は政府系の全職員は適切な服装をすることが求められているんだよ。つまり、君も新しい服装をしなければならないと言うことだ」 「はい、分かりました」とジョーンズは言った。その時、あるアイデアが彼の頭に浮かんだ。 「我々は彼らの呼び方を変える必要があると思います。ボイと呼んではいかがでしょう? BーOーIです。そうすれば、いちいち彼らを白人男性と呼ばなくても済むし、より簡単になります」 *
デビッドには選択肢がふたつあった。アフリカの収容施設を見つける選択肢と、自分の好奇心を満たすためにフィリップ・グリーンの身に何が起きたかを見に行く選択肢。この時は、彼の好奇心の方が勝った。 車に乗り込み、トニー・グリーンの住居がある北に向かった。アダムズの説明とは異なり、道のりは倍の6時間もかかった。デビッドは、辺りがすっかり暗くなっていたものの車を走らせ、ようやく、トニーが住む小さな町に来た。時間が遅くなっていたので、その夜はモーテルにチェックインした。 ベッドに横たわりながら、この事件について考えた。このベル博士という人物は、自分が主張したことが現実になることを証明した。実際、初期の報告によれば、(全員とは言えないものの)白人男性のほぼすべてが変化を示している。ジョーンズは、白人男性がすべて変化した世界とはどんな世界だろうかと思いを巡らせた。世界はどんなことを起こすだろう? その問いに対する答えは見つけられなっかった。彼はいつしか眠りに落ちていた。 翌朝、目が覚め、自分が若干、小さくなっていることに気づいた。身体の感じが昨日と異なる。身長では1センチくらい、筋肉も1キロくらいか? たいていの人は、そういう小さな変化には気づかないものだ。だが、デビッドは、ほんの些細なことにも気づくことができるように訓練されている。 デビッドは、そんな身体の変化は当面、忘れることにした。自分がどうなるかは、すでに知っている。今は、それを考えても意味はほとんどない。 その30分後、彼はトニーの家の前にいた。丸太小屋だった。玄関ドアをノックする。数秒後、デビッドはFBI捜査官と名乗り、家の中に迎えられた。 トニーは年配の男だった。おそらく50歳くらい。やつれた顔をしていた。目はくぼみ、頬には張りがなかった。 「どんなご用件かな?」 とトニーが言った。高音のかすれ声だった。 「息子さんについてです」 「私は……」 とトニーは言いかけて、少しためらった。「息子を見つけたのか?」 「詳細は省かせてください」とデビッドは言った。「あなたの息子さんが戻ってきたこと、しかも、すっかり変わった姿で帰ってきたことは知っています。そんなふうにしたのが誰で、どんな理由でかも知っています。私は、個人的な好奇心を満足させるためだけにここに来ました。お子さんがどういうふうに変化に対処したかを知りたくて」 「ああ……。彼は大丈夫だ。少なくとも最後に会ったときは。息子は今、私の姪として生活している」 トニーは、そこまで言って、少し間を置いた。 「ちょっと待ってくれ? 誰がどうしてやったか知ってると言ったね?」 「あなたはご存じない?」 「誰だか知らないが、マイクという名の男だとは知っている。だが、それ以上は……」 「マイケル・アダムズです。あなたの元同僚の。あなたが犯したミスのひとつについて、責任を押し付けられ、解雇された男です。彼は個人的な恨みを抱いた。そして、あなたはちゃんと罰せられるべきだと考えたのです」 「アダムズ……ああ、何となく覚えている。それで、その男がこれをやったのか。どうして俺の息子を? 彼は逮捕されているのか?」 「彼は、あなたの御子息を誘拐し、女性化することにした。まあ、彼はそれがあなたの心を傷つける最良の策だと考えたのでしょう。……彼が逮捕されているかどうかですが、答えはノーです。アダムズは別件の調査で非常に重要な情報を提供してくれましたので、告訴しないことになったのです」 ジョーンズは嘘をついた。そもそも彼はアダムズについて報告書を書くつもりはなかった。であるから、彼の情報自体が存在しないも同然になる。 「なるほど……。で、あんたは何が知りたいんだ?」 「息子さんに関してご存知の情報なら何でも」 「さっき言ったが、息子は市街に戻って、秘書か何かをしてる。息子の身体に何が起きたかは、あんたの方が知ってるだろう?」 「ええ」 「やつらは、息子の変身を記録した写真やビデオを俺に送ってきた。もし、それが役立つなら」 「提供してくれる情報なら何でも」 とジョーンズは答えた。 * デビッドは最初から始めた。一連の画像と動画をポータブルのハードディスクにコピーし、モーテルに戻った。そのハードディスクを自分のパソコンに接続し、まずは画像から見始めた。 最初のセットは、背が高くスポーツマンふうの若者が出てきた。素っ裸で、非常に女性的なポーズを取っている画像ばかりだった。次のセットでは、その若者の体毛がすべて消えていた。残りの画像のセットでは、次第に身体が変わっていく様子が映っていた。身長も体格もどんどん縮小していく様子である。最後に、彼の身体が、ジョーンズがこれまで見てきた犠牲者たちと同じ体つき(ただし、豊胸の乳房はない体)になっている画像があった。 次に動画に移った。最初の動画は、裸のフィリップが父親に自分は大丈夫だと伝える動画である。次の動画はフィリップがダンスをしている動画だった。その次は、よくある、若者がふざけているところを手持ちのカメラで撮ったアマチュア動画ようなビデオだった。そのふざけている様子は、男の若者のそれというより基本的に若い娘の様子に見えた。 その後にセックス動画が出てきた。始まりは、黒人女性との行為。だが、男性と女性の行為とは違っていた。レズビアンの行為と聞かされて想像する行為に近いものだったと言える。その動画の終盤に差し掛かると、黒人女性は姿を消し、ひとり残ったフィリップは脚を広げ、ディルドを手に自慰を行っていた。 次の動画も黒人女性が出てきて今の動画と似ている。だが、違いがあった。今回は、双頭ディルドを使っての挿入があった。さらに次のでは、黒人女性はストラップ・オンを使っていた。最後の動画はかなり長時間に渡るものだった。(もっとも、デビッドは大半を早送りで見た。その大半の部分ではフィリップがふたりの男性と3Pを行っているシーンだった)。 動画を見終えたデビッドは、最初の一連の画像と、最後の動画の静止画像とを見比べた。確かに、どこか風貌は似ている。だが、乳房がない点と小さなペニスがある点を除外すると、最終結果は、フィリップに妹がいたら、こういう姿になるだろうといった姿だった。ジョーンズは、どうしてトニーがこれら画像や動画をいつまでも持っているんだろうと、不思議に思った。 ジョーンズは、それは分からないと肩をすくめ、ノートパソコンを閉じ、明かりを消し、眠りについた。 * ジョーンズが動画を観てから、1週間以上が経っていた。この間に身長は8センチ、体重も16キロほど減っていた。今はおおよそ、身長165センチ、体重65キロになっている。時間の大半を調査に費やしていた。 フィリップを見つけ、話しかけた。フィリップは非常に快活な性格をしていることが分かった。興味深いことに、彼は豊胸手術を受けないことに決めていた。話す内容も、動画から推測できる域を超えることがなく、面会を続けても価値は少ないとジョーンズは判断した。 その後、ジョーンズはアフリカに向けての旅行の準備、およびアフリカに着いた後、目的地に行くまでの移動手段の準備に取り掛かった。収容施設はサハラ砂漠の中央にある。ということは、入念な計画が必要だということだ。それを怠ると、砂漠の真ん中で命を落とす可能性が出てくる。 準備には、3日ほどかかった。フライトにはもう一日かかった。 というわけで、すべてを決め、実行した時には、1週間が経っていた。今ジョーンズはアフリカのとある空港のトイレの鏡の前にいる。そして鏡に映る自分の姿を見つめていた。カーキのズボンは革のベルトでしっかり押さえていたが、デビッドを見たら誰でも、彼の服のサイズがまったく合っていないことがはっきり分かるだろう。シャツも細くなった肩にだらしなく被さっているし、ズボンの裾も幾重にも巻き上げなければならない。 それよりも、顔の変化に目を奪われた。顔つきが柔らかくなっている。もちろん、これは予想していたことだったが、予想することと、直に見ることでは、非常に異なる。目もクリクリとして大きくなっていた。 ジョーンズはケースを持ち、トイレを出て、人ごみの中を進んだ。自分の身体が細くなり、弱々しくなった感じがした。それはそれでメリットはあるが、彼はその感情を押し殺した。そして間もなく空港を出て、雑踏の街に出た。歩き進みながら、人の視線を惹きつけてるのを感じた。彼の白い肌せいで視線を浴びているのではない。彼の身体の大きさと、その大きさに合わない服のせいだった。 2ブロックほど進んだ後、デビッドは横道へと向きを変え、その行き止まりまで進んだ。進んできた道を振り返り、誰もいないことを確かめた後、ある特定のレンガを押した。レンガが引っ込んでいく。その1秒後、右側のドアが開いた。中に入ると、ドアは自動的に閉まった。 「やあ、エージェント・ジョーンズ!」 と人懐っこい声が彼を出迎えた。サミール・アルクラ―である。ジョーンズの古くからの友人である。デビッドは、サミールが前に会った時とほとんど変わっていないことに気づいた。 「やあ、サミール」 とジョーンズは返事し、ふたりは握手した。「急がせるわけじゃないんだが、時間がなくなってきてるんだ。前に頼んだ移動手段に加えて、必要なものがいくつかある」 「何が必要だ?」 「服だ。サミール、私は変化している。見てのとおりさ。しかも、進行中だ。このままだと、父親の服を着た子供のように見えてしまって、歩きまわることができない。私の命は人に気づかれない能力に依存してるので、こういう服では活動できないんだ。だから、何か普通に見える服が必要だ」 サミールは少し考え、言った。「これからどれくらい変わると予想している?」 「次の1ヵ月の間に、身長はあと13センチ、体重は7キロ減るだろう」 「ローブを何着か貸してやろう。詳しく調べられたら、それでは通らないが、あまり視線を浴びずに街を歩くことくらいはできる」 「オーケー、それでいい」 *
豪華なマンションだった。ビルのワン・フロアを丸々、彼の住居が占めていた。だが、それは驚きに値しない。マイケル・アダムズは裕福な男であり、このようなマンションに住んで当然であったから。デビッドはドアをノックした。2分ほどして、太った黒人がドアに出た。 ジョーンズはバッジを見せた。「こんにちは。私はFBIのデビッド・ジョーンズ捜査官と言います。ちょっと二、三、お訊きしたいことがあってきました。もしよろしければ……」 「何について?」 とアダムズが言った。 「オマール・ベル博士について」 「ああ、どうぞ」 アダムズはそう言って脇によけ、ジョーンズを招いた。部屋に入りながら、アダムズは続けた。「彼が大気に撒き散らしたモノについてですね?」 「ええ。私たちは彼を探しているんです」 「彼がどこにいるか、私には分かりません。大学以来、何度か会っただけ。彼がここまでするとは……。何と言うか、彼はずっと前から、人種のことについてちょっと行きすぎるところがあったんです。いつも怒り狂ってた。どうしてかは私には分かりませんが。でも、こんな大事件を起こすとは思ってもみなかった」 「大学の時に知り合ったと?」 「ええ、あなたは、それが理由でここに来たと思っていましたが……。私たちはほぼ2年間、ルームメイトだったんです。……ん、ちょっと待って。もしそれが理由でないとしたら、どうして私のところに?」 「あなたは3年前、彼の組織に6百万ドルの寄付を行っている……。彼が、それほど多額の寄付に値することとして、どのようなことをしたのか、それが知りたいのです」 「ああ、うーん…私は……」 言いかけたアダムズをジョーンズは遮った。 「まあ、その件について、あなたに思い出していただく必要はないでしょう。質問を変えます。変化が始まったら、これがカオス状態を引き起こすことになると思いますか? その可能性があることをあなたは知っているはずです。それに、以前に、そのようなことが行われたことも知っているはず。それこそ、ベル博士が行ったことじゃないのですか? 彼はあなたのために誰かに変化を起こしたのでは? ベル博士の物質を使って、誰か以前のライバルの身体を変え、露出度の高いランジェリ姿でここに来させたとか?」 しばらく沈黙した後、アダムズが言った。「そういうことじゃない」 「何が、そういうことじゃないと? ということは、ベルは誰かを変えたのは事実なのですね?」 「……軽率な判断でした。当時、私は非常に暗い立場にいた。そして、そんな時、オマールが突然、連絡を入れてきたのです。私たちは一緒にディナーを食べました。そのディナーでは、旧友ふたりが再会し、昔話をするようなものだろうなと思っていた。ですが、さっき言ったように、当時の私はひどい立場にいた。すでに、オマールの話しを聞く前から、私は非常に愚かなことを計画していたのです。私は、自分が抱えていた問題をオマールに話しました。私は、仕事で巨額の損失を出してしまったことについて、不当な責めを受けていたのです。その損失は、トニーのミスによるものだったのですが、トニーが社長のいとこだという理由で、私が責任を取らされたのです。私は会社を解雇された。20年も真面目に勤め、会社に貢献してきたのに、私が行ったことでないことの理由で、私は首になったのです……」 「……ですが、オマールは、それを聞いて、ある提案をしてきたのです。気が狂ってるような話しでしたが、当時は、私もちょっと常軌を逸していたわけで、私は同意してしまった。トニーにはフィリップという息子がいました。トニーの自慢の息子で、彼の喜びでもありました。オマールは、トニーから、彼が最も価値を置いている存在を奪ったらどうかと言ってきたのです……」 「……私はフィリップを誘拐しました」とマイケルは言い、視線を宙に向けた。目が泳いでいる。張りのない声を出していた。「でも、誘拐だけでは終わらなかったのです。オマールは、あの化学物質を開発していた……」 「実際に開発したのはベル博士ではなかったのですよ」 とジョーンズが割り込んだ。「ベルはウェスト・バージニアにいた青年から、あれを買い取ったのです」 「おお、それは知りませんでした。まあ、どちらにせよ……。私たちは彼の息子を変えてしまった。信じがたいことでした。まるで、風変わりなSF映画のような話で。フィリップは体格のいい、スポーツマンタイプの若者でした。ですが、すべてが終わった時までには、彼は本当に小さな身体になっていた。150センチもなかったでしょう。体重も45キロ程度。正確にどういう仕組みであれが可能になったのか、私には分かりません。オマールは説明しましたが、私は詳しいことには注意を払っていませんでした。ただ、オマールはあの息子の体格だけを変えたわけではなかったのです」 ジョーンズが口を挟んだ。「その若者の性的指向も変えたのですね?」 「ええ。そして、あの子はセックス狂になった。ことが終わった時には、彼は完全に男性しか愛さなくなっていました。…………自分が行ったことは言い訳できることではないのは存じております。でも、あの子の方は、変化を喜んでいた。あれは、条件付けか、あの物質中の何かに起因していたのかもしれませんが、1年も経つと、彼は以前の生活に戻りたいといったふうにはまったく見えなくなっていたのです」 「それは他の大半のケースでも同様でした」 とジョーンズが言った。哀れな青年たちは、何をしても自分の状況は変えられないという内的な諦めと、外部からの強化があいまって、そういう状態になったのだろう。おおよそはジョーンズも把握していた。 「そのフィリップという若者は、今どこにいますか?」 「分かりません」 とアダムズは言った。「彼の父であるトニーは、ここから2時間か3時間くらいのところに住んでいます。私たちは、そこにフィリップを帰した。その後、フィリップがどこに行ったかを知ってる人がいるとしたら、やはり、トニーでしょう」 「で、ベル博士は? 彼が隠れていると思われる場所に関して、何か手掛かりは?」 アダムズはちょっと考え込んだ。 「分かると思いますが、今回の事件が起きる2年ほど前の時点だったら、私はあなたに、出て行けと怒鳴ったことでしょう。でも今は……私にもオマールは心を病んでると分かります。多分、ずっと前から、私は彼をそう思っていたのかもしれません。何でもかんでも、彼は白人男性のせいにしていた。でも、私は彼を好きだったし、彼は私の友人だったのです。でも今は……。あいつはやりすぎてしまった」 アダムズは遠い目になった。 「何か書くものを持っていますか? ……ああ、それでいいです。私たちは、フィリップを北アフリカのとある収容施設に連れて行きました。サハラ砂漠のど真ん中です。オマールがいるとしたら、私はそこしか知りません」 そして、アダムズは収容施設の場所とトニーの住所を書き、そのメモをジョーンズに渡した。 *
マラとデビッドはしばらく沈黙のまま座っていた。その後、いたたまれなくなったデビッドが口を開いた。 「服を着てもいいんだよ。分かってると思うが」 マラは肩をすくめた。「あたしはどっちでも構わないけど。でも、あなたが居心地悪いと感じるんだったら……」 と彼女はすぐに服を着た。 「それでと……この先、どんなことを予想すべきか?……」 とジョーンズは切り出した。 「あなたの人生も、世界に対する見方も変わること」 とマラは答えた。「変化は身体的なものだけではないわ。不思議だけど。すべてがすごく連動してるの」 「どういうこと?」 「そうねえ……。変化の前は、あたしは女が好きだった。完全に異性愛指向だった。なのに、変化するにつれて、男の方が魅力的に見えてくるのよ。そして女の方はと言うと……まあ、もう今はあんなふうには気持ちが揺れたりしないと言っておきましょうね。それから、あの感覚! そのベル博士が何かしたかどうか分からないけど、でも、アナルセックスが……。変化の前に感じたどんなことよりも、はるかにずっと気持ちいいのよ。この2年ほどで、快感はかなり収まってきてはいるわ。でも、それまでしばらくの間は、あたし、文字通りの淫乱、色情狂だったのよ。でも今は、男と一緒になるのが自然だと感じてる。たぶん、男に惹かれるという指向を与えて、その後、その指向をプラスに強化したという仕組みじゃないかと思ってるけど」 「このことについてずいぶん考えたようだね」 とジョーンズが言った。 「ええ。さっき言ったように、あたしが男だった時には、女が好きだったから。そして今は、そういう状態とは真逆になっている。そういうことについて考えるのも当然じゃない? そうでしょ? ま、たくさんいろんなことが変わると予想することね、ジョーンズ捜査官」 * デビッドは納得していた。脅威は現実だった。車の中、座席に座りながら、彼はマラが言ったことを考えていた。理屈が通る。もし、ベル博士が人の指向を変えることができたら、そして、その指向を快感を使って強化したなら、身体の変化を、彼が対象とした者にとって、より受け入れやすいものにすることになるだろう。そうすることで、対象者は、よりコントロールしやすくなる。 デビッドは頭を後ろに倒し、深い溜息を吐いた。そして、差し迫る変化について考えた。自分もマラやレアに似た存在になっていくのだろうか? ふたりとも豊胸手術を受けていた。ということは、乳房ができることは、ベル博士の計画には含まれていないことになる。デビッドは助手席に置いた茶色のファイルを取って、開いた。中にはベル博士の文書が入っていた。彼はそれを読みなおし、自分がどういう姿になるか、どんな存在になるかを想像しようとした。 現時点では、世界中で、白人男性がまったく新しく、高音の声を発し始めているところだと分かる。その声は、そもそもの声質に応じて、声の高さだけが変わるはずだ。低音だった男性は、女性的なハスキーボイスの持ち主になる。自分の場合は、元々、高音の男性の声だった。今後、おそらく高音の女性の声になっていくのだろう。彼は再び溜息をつき、ファイルのページをめくった。 手がかりと言えるものが、もうひとつある。マイケル・アダムズだ。西海岸カリフォルニアに住む、元ビジネスマン。 ジョーンズはエージェンシーに電話を入れ、ニューヨークからロスへのフライトを予約させた。フライトは翌日だった。そこでジョーンズは空港のホテルにチェックインした。 翌朝、ジョーンズはシャワーから出て、タオルで身体を拭いた時、全身の体毛がなくなっていることに気がついた。顔に手をやり、肌がつるつるであることを知る。第二段階、完了か。彼はその情報を頭の片隅に追いやった。今は目の前の任務に集中しなければならない。 * 翌日の夜、デビッドはロスに着いた。飛行機の中で寝ようとしたが、寝付けなかった。彼は眠る代わりに、追ってる事件のことを考えた。時系列に沿って出来事を考える。 次第にはっきりしてきてることは、ジョージ・ヤングが、元イジメをしていた者に対する復讐のために当初の化合物を開発したということ。今は亡き若い科学者に多額の金が支払われた。それは、ベル博士がその化合物を購入したことを確証していると言える。だが、ベル博士は資金が乏しくなっていたのだろう。そこで、彼はジャマル・ピアスに仕事を持ちかけた。そしてジャマルはライバルだった男を女性化した。ジョーンズは、マラの女性化はふたつの目的を持っていたのではないかと睨んだ。化合物の実験と、資金獲得のふたつ。 だが、このマイケル・アダムズという男は予想がつかなかった。彼のどこを取ってもオマール・ベルとは結び付きそうに思えない。アダムズは黒人だが、戦闘的な差別反対主義者ではない。共和党の党員の登録さえしている。彼は2年ほど前、巧妙な投資を行い、かなりの利益をあげ、それ以後は、静かに生活を送っている。にもかかわらず、彼は、ベル博士の組織に6百万ドル以上の寄付をした(その組織の目的は、自閉症の治療の研究と考えられている)。 いや違う。マイケル・アダムズについて、どこか間違っているはずだ。 ロスに着いたのは夜だったので、ジョーンズは少し眠ることにし、ホテルにチェックインした。部屋に入り、ベッドに入るとすぐに、彼は眠りに落ちた。 翌朝、目が覚め、着替えを始めた。ジョーンズは鋭い感覚を持っている。すぐに、ズボンの腰回りが緩くなっていることと、歩くと裾が床を擦っていることに気がついた。時間がどんどん減ってきている。間もなく、変化が本格的にスタートするだろう。 *
ジョーンズは動揺していた。彼ほどの冷静沈着な精神の持ち主ですら、レアと言う名の元男性が言ったことの含意を飲み込むことに、困難さを感じた。レアは、どのように変わっていったかを実に詳細に説明してくれた。そして、その説明は、ベル博士が書いた手紙の内容とまったく同じだった。 ジョーンズは車の中、自分のおかれた状況について考えた。正直、これまで、このケースを追ってきたものの、若干つまらないと感じながら追ってきたと言えなくもない。もちろん、彼はプロであり、有能なのではあるが、気持ちが入っていたわけではなかった。あの博士の狂った主張には何の信憑性もないと思っており、単にほら話を吹いただけの犯人を追うだけの、面白みのない事件だと思っていたのである。だが、今、ジョーンズは分からなくなっていた。このようなことをジョージ・ヤングという人物にできたのだとすれば、これは不可能ではないということになる。さらに、ジョージとベル博士は接触を持ったのは明らかだ。 次の行動を考えていると、彼の電話が鳴った。 「もしもし?」 内心の懸念がばれぬように、彼は落ちついた声で電話に出た。 「君が送ってくれたあの写真、ジョージ・ヤングで、正しいんだな?」 電話の向こうの分析官が訊いた。デビッドはそうだと答えた。 「そうか。だったら、そいつを探すのは、もうやめてもいいな。彼の容姿にマッチする死体が、いま君がいる州からふたつほど離れた州で見つかっていたんだ。それも5年ほど前に」 「本当か?」 「今、歯の記録と照合するため、いわば死体を掘り起こしているところだ。だが、ほぼ確実だと思っている」 「分かった。ありがとう」とジョーンズは答えた。「これから……」 急に声がかすれた。ジョーンズは一度、咳払いをした。「これから……接触しよう」 ジョーンズは電話を切った。さっきまでのジョーンズが、ベル博士の計画が現実化しつつあるのかもしれないと思っていた、と言うなら、今のジョーンズは、ほぼ確信したと言ってよいだろう。たった今、声が変わったのだ。 ジョーンズは、とりわけ低音の声だったというわけではなく、時々、低音の女性の声に聞き間違えられることもあった。だが、いまは、まともな人間なら誰でも、彼の声を男性の声と聞き間違える人はいないだろう。試しに何度か声を出してみた。やはりダメだった。彼の声は、これまで耳にしてきたどんな女性の声と比べても、むしろ、それより甲高い声に聞こえた。これは驚きだった。 だが、たとえ、そのようなことがあっても、決して集中力を失わない。それがデビッド・ジョーンズの本性である。未解決と決定されるまで、彼は追跡を続けるだろう。依然として、辿っていける道は、まだ、ふたつみっつは残っている。ひょっとして、本当にひょっとしてだが、この件に関して、本格的に変化が始まる前に、自分が食い止めることができるかもしれない。 彼は車をスタートさせた。先の道のりは長く、残された時間は刻々と減っていく。 * そのおおよそ2日後、ジョーンズは、とある豪邸の前に立っていた。 彼は、東海岸の海岸線に沿って北上し、昨日、ニューヨークに着いていたのだが、すぐに、目的としていたジャマル・ピアスと言う名の犯罪者が、2年ほど前に引っ越していたことを知ったのだった。ドラッグ王どもは、引退の計画もしっかり立てているものらしい。 だが、ピアス氏がニューヨーク郊外の土地に引っ越したことを探り当てるのに時間はかからなかった。彼は、自分の帝国を譲った部下から、いまだにちょろちょろと収入を得ているらしい。だが、あらゆる面からみて、彼がこの業界から実質的に手を引いているのは確かだった。 デビッドは玄関をノックした。その数秒後、小柄な黒人女性がドアを開けた。彼女の肌色は薄色であり、両親の片方が黒人で、もう片方が白人である様子だった。髪もストレートに伸びている。身長は160センチ程度。体重も55キロはないだろう。アートっぽい刺繍があるジーンズとピンク色のゆったりしたTシャツを着ていた。 「ああ」とジョーンズは偽のFBIバッジをチラリと見せた。「ジャマル・ピアスさんに会いに来たのですが、彼はここにいますか?」 彼女は、ジョーンズの声を聞いて、一瞬、彼の顔を二度見したが、何かを思い出したようで、気にしなくなった。 「ええ、どうぞ、入って。彼を連れてくるから」 と彼女はジョーンズを中に入れた。 彼女が二階に上がるのを見ながら、ジョーンズは豪華な装飾や家具がある居間でソファに座った。部屋を見回す。このジャマルと言う男はかなりの期間、カネを持っていたのは明らかだ。しかも、最近得たカネにもまったく執着していない様子だ(趣味が悪いかも。しかし、高価できらびやかなら、自分も欲しい)。いや、よく見ると、なかなかいい趣味をしているようだ。 2分もしないうちに、逞しい黒人男が階段を降りてきた。例の女性が、その後をついてくる。 「何か御用かな、捜査官?」 と男は低いバリトンの声で尋ねた。 「FBIのデビッド・ジョーンズ捜査官です」 とジョーンズは立ち上がり、ジャマルのところに近づいた。 ジャマルは手を差し出し、ジョーンズは彼と握手した。 「それで、どんなご用件で?」 「最初に、ふたつ三つ、除外したいことがあるだが…」 ジャマルは頷いた。 「私はあなたが誰であるかも、あなたがしてきたことの大半も知っている。だが、私はそれには興味がない。あなたは私の調査対象ではない。私がここに来たのは、オマール・ベル博士を見つけるためだ。過去、あなたがベル博士とビジネスをしたことは知っている。そのビジネスでのあなたの役割にも、私は興味がない。ただ、ベル博士を見つけたいだけだ」 「よかろう」 とジャマルは言った。「訊きたいことを言ってくれ。だが、俺はそいつがどこにいるかは知らんよ。もう何年も会っていない」 「どんなビジネスだったのかな? あなたが彼に多額の金を払ったのは知っている。それは何のためだったのか?」 ジャマルは女の方に顔を向け、言った。 「マラ、服を脱げ」 「いや、これは……」とジョーンズが言いかけた。 「いや、これがあんたの質問への答えなんだよ、ジョーンズ捜査官」 ジャマルがそう言う間にも、マラと言う名の女は、すぐに服を脱ぎ始めていた。ジョーンズは、居心地悪そうに、女が服を脱ぐのを見ていた。数秒後、女は素っ裸になっていた。そしてジョーンズは、女が実は女ではないことに気がついた。男なのか? あるいは、男のようなものなのか? 少なくともペニスはついている。だが、異常なほど小さく、5センチもないだろう。 「これが」 とジャマルはマラを指差した。「これが俺がカネを払って手に入れたモノだ」 「何を言ってるか理解できない。彼女は……」 「彼は、だ。マラは女じゃない。見ての通りな。はっきりさせよう。いや、マラに話させた方が、もっといいかな」 数秒後、マラは話し始めた。以前は強盗(他の犯罪者たちを襲って獲物をかすめ取るギャング)だったこと。そしてジャマルらに捕まったこと。(正確な時間はマラは分からなかったが)それから1年ほどかけて、身体が変化したこと。その後、2年近く、ジャマル一味への性奴隷として暮らしたこと。それらをマラは平然と語った。 「でも、その後、ジャマルはあたしをそこから解放してくれたの」 とマラは心から愛情を持っている様子で語った。「彼が引退して、あたしをここに呼んでくれたの」 マラの話しは、レアが語ったことと似ていた(少なくとも、身体の変化については)。ともかく、ここにいるドラッグ王は品行方正になった様子だ。 「で、ベル博士がどこにいるかは分からないと言ったね? 彼に接触する方法はないと言うことか?」 とジョーンズはジャマルに尋ねた。 「ああ。それに、あいつを見つけるのは大変だと思うぜ。ベルは、あのウイルスだか何だかを放出した後、どこかに身を隠したからな。変化はすでに始まっている」 それは質問してなかったが、ジョーンズは頷いた。 「他に何か情報は?」 「俺か? ないな。だが、マラともっと話したかったら、自由に訊いていいぜ」とジャマルは、素っ裸のままのマラを指差した。「俺は、ちょっと電話がかかってくる約束があるんだ。お前たちで、おしゃべりでもしてろ」 ジャマルはそう言って、立ち上がり、階段を上がった。
そんなわけで、その2日後、デビッドはアメリカ中部へと飛び、ある典型的な郊外の家の前に来ていた。ドアをノックすると、中から、小柄な老女が姿を現した。 「何のご用ですか?」 デビッドはFBIの文字が出ているバッジを見せた(もちろん、これは偽物である)。 「奥様、ご迷惑をおかけして大変申し訳ないのですが、ジョージ・ヤングという人物を探しているのです。分かっている彼の最後の住所がここだったもので」 「ジョージは何をしたの? またトラブルに会ったの?」 「いいえ、奥様。そういうことではありません。ただ、ジョージさんの元ビジネス相手に関して、ちょっと質問したいことがありまして……。中に入ってもよろしいですか?」 「ええ、もちろん」 老女はそう言ってジョーンズを中に入れた。 「お掛けください」 ジョーンズは醜いカウチに腰を降ろした。 「ジョージは、ずっと、ちょっと変わった子でした」 「奥様のお子さんなのですね?」 「ええ、でも、5年以上も自分の母親に顔を見せない息子なんて、どこにいるのでしょうね……前は、毎週のように日曜日には来てくれていたのに。……でも、ある日、突然、玄関から飛び出していったんですよ。あることをしたって、誰かに追われているって、ぶつぶつ言い続けていました。あの子、何と言うか、何か偏執狂になってるのかと思いましたよ、分かるでしょう?」 「彼は今はここに住んでいないのですね?」 老女は頭を縦に振った。「そうねえ…ジョージが大学を卒業する前あたりからずっと…。お金を儲けてからは、何回も引っ越ししました。そして、突然、さっき言ったようなことがあって、その後は消えてしまったのよ」 「写真はありますか?」 老女はクローゼットのドアノブに吊るしているハンドバッグを漁り、中から写真を出し、デビッドに手渡した。写真の男は、背が高いが、ガリガリと言っていいほど痩せた男だった。白いにきびだらけの顔は醜く、赤い髪はぼさぼさだった。 「このお写真、お借りしてもよろしいでしょうか?」 とジョーンズは尋ね、老女は頷いた。 「他に何か、ジョージさんについて調査の助けになりそうなこと、ご存じありませんか?」 「うーん、そうねえ……。ああ、ひとつありました。ひとつと言うか、ひとり。レオです。レオ・ロバートソン」と老女は溜息をついた。 「レオっていう子はねえ、ずっとジョージのことをひどくイジメていたんです。ジョージは、レオのせいで、高校の時も、大学に入ってからも、人から好かれなかったって、すごく恨んでいました。いくつか記憶に残る出来事も。確か、ジョージがいなくなる1年くらい前のことだったかしらねえ。ジョージが電話してるところを聞いたことがあったわ。レオの進捗がどうのこうのって…。ものすごく悪意がこもってる言い方だったので、覚えています。あんなふうにしゃべるジョージを聞いたことがなかったから」 「レオ・ロバートソン……ですね?」 老女は頷いた。 デビッドは立ち上がり、「ありがとうございました」と礼を述べた。 ジョージの生家を出て、車に戻ったジョーンズは電話を取った。 「ああ、ある名前について調べてほしい。レオ・ロバートソンだ。……ああ、ありがとう。それから、写真のスキャンを送る。それもデータベースでチェックしてくれ。……ああ。それでいい。すぐにこっちに送ってくれ」 * 『バニー』と言う名のストリップ・クラブ、その前に停めた自分の車にデビッドは寄りかかっていた。レオ・ロバートソンは、現在、レア・ロバートソンと名乗り、ここで働いているとファイルにはあった。デビッドは店内に入った。 クラブの中は暗く、(多少、くたびれていはいるものの)可愛い女の子がステージの上、トップレスで踊っていた。デビッドはカウンターに向かった。 「何を出します?」 とバーテンが尋ねた。 デビッドはバッジを見せた。 「ここのオーナーに話しがあるんだが」 バーテンは頷き、カウンターの後ろのオフィスに引っ込んだ。2分ほどした後、彼が現れ、その後ろにオールバックの髪の太った毛深い男がついてきた。 「何か御用で?」 と太った男が訊いた。 「レア・ロバートソン。その人に話しがある」 「ダン、レアを連れてこい」 と太った男が言った。「でも、どういうことですかい? 彼女がトラブルでも?」 「いや。彼女がちょっと前に知っていた人を探そうとしてるだけだ」とデビッドは答えた。 デビッドは人の心を読むのが得意だと自負している。この才能は生まれつきだ。ある人物について、ほんのかすかな特徴を捉え、そこから、その人物が誰で、何をしているかを割り出すことができる。だが、レアを見たとき、彼女が元は男だったと認識できる特徴は、まったくなかった。 彼女は、ゆったりと、大きな腰を揺らしながら歩いてきた。その身のこなしは、セクシーに見せようとして、これ見よがしにして見せる動きではなかった。そんなのではない。実に繊細な動きだ。天性の動きとも言える。下は小さなGストリングのビキニ、上も身体を想像しようとしても、丸わかりで想像の余地がないほどわずかなものしか着ていない。確かに、ジョーンズは彼女の乳房が偽物なのは認識した……とは言え、現役ストリッパーのうち、いったい何人が生まれつきの乳房をしてるというのだ。 レアはデビッドのところに近寄り、言葉を発した。「私に会いたいって、あんた?」 声までも、完全に女の声だった。 「ああ」と彼はバッジを見せた。「どこかふたりで話せる場所はないか?」 太った男が口を挟んだ。「俺のオフィスを使ってもいいぜ」 「ありがとう」 デビッドとレアはオフィスへと案内された(もちろん、薄汚いのはいうまでもない)。中に入るとレアは椅子に座り、デビッドは立ったままでいた。 ドアが閉まるとすぐに、デビッドが言った。「君のことは知ってる。レオ・ロバートソンだね?」 レアは黙ったままでいた。「何が欲しいのよ? お願いだから、誰にも言わないで。私、首になってしまうし……」 「ジョージ・ヤングについて何か知ってるか?」 「ジョージ? ジョージには5年以上、会っていないわよ」 そう言ったきり、レアは黙りこくった。そしてしばらく経つと、目から涙をこぼした。涙の粒がつるつるの頬を伝い落ちた。 「彼が私をこんなふうにしたのよ」 「何?」 レアは立ち上がって、自分の身体を示した。「これよ」 「手術か?」 「いいえ。おっぱいは違うけど。おっぱいの方は仕事のためにしたの」 「何を言ってるか分からない」とジョーンズは言った。 「私も分からないわ。でも、ある日、5年ちょっと前あたりね。私、身体が変わり始めたの。最初は気づかなかったわ。どうしてか分からないけど。多分、今なら簡単に分かるけど、最初は、何もかも、現実離れしすぎてて。昔は、私もごく普通の男だったのよ。ノーマルでストレートのオトコ。だけど、何ヶ月かするうちに、どんどん身体が小さくなってきて、身体の形も変わったの。ちんぽまで小さくなったわ。そして、そのうち、男とセックスしたくなってきたの。それから、今、あんたが見ている私、つまりセクシーなストリッパーね、それに変わるまではあっという間。いまだに、どうしてこんなことになったのか分からないわ。今はたいてい、気にもしていない。身体の具合もいいし。実際、幸せに感じる時もあるわ。でもね、時々、すべてがひどく間違っていると感じる瞬間が襲ってくるの。だって、こんなのおかしいもの。私は、こんなところにいるべき人間じゃないのよ。こんな人間、私じゃない」 「どんなふうに変化が起きたか知らないと言ったね? どうしてジョージのせいだと分かるんだ?」 「彼が私にそう言ったのよ。彼が店に来て、ラップダンス( 参考)をするように私を指名したの。そして、ダンスの後、自分はジョージだと名乗って、私の変化に関して、自分が仕組んだんだと言ったのよ。 「今、ジョージがどこにいるか知ってるか?」 「いいえ」 *
ジョーンズは、ほぼ瞬時に、この男の方は上級分析官であり、女性は何が専門かは知らぬが何かの専門家だろうと推定した。 「ジョーンズ君」 とオーウェンズ氏は話し始めた。年齢のせいか声がしわがれていた。「こちらはキム・ウィルソン。そしてこちらはパトリック・ダンズビイだ」 ジョーンズは挨拶がわりに頷いた。 「ふたりは、君の次のミッションにとって貴重になる情報を持っている。そのため、ここに来てもらった」 「スクリーンに映っていた男は誰で、何をしたんですか?」 とジョーンズは訊いた。 「さすがに見逃さないね、君は」 とオーウェンズ氏はくすくす笑った。そしてオフィスの窓からスクリーンのひとつを指差した。「あの男はオマール・ベル博士だ。彼は、ある生物化学物質を世界中の大気に放出したのだよ。それは……まあ、それに関しては、ここにいるダンズビイ氏が専門だから、彼に説明してもらおう」 ダンズビイ氏は咳払いをし、話し始めた。 「ベル博士は生化学分野でノーベル賞を受賞した科学者ですが、遺伝子学でも学位を取っています。彼は天才的科学者ではありますが、究極的には厄介な男と言えましょう。極端な黒人至上主義者なのです。彼は、歴史を通してアフリカ系アメリカ人が被ってきた苦難のおかげで、黒人は優位な人種になってきたと信じています。まあ、それはそれで構わないのですが、それ以上に彼は、白人は、黒人を抑圧してきたことに対して罰を受けるべきであると考えているのです。そういうわけで、アフリカ系アメリカ人の苦難に責任があると彼が感じている人々に向けて攻撃を仕掛けたのです」 オーウェンズ氏はジョーンズに書類を渡した。「これは、彼が、主要な報道局に送った手紙だ。報道各社は、これを狂人によるほら話だと無視しているが、だが……」 ウィルソン女史が加わった。「ですが、確かに大気に何かがあるのです。まだ、私どもはそれが何かは特定できていませんが、あるのは確かです」 「その化学物質は何をするのですか?」 「まあ、その手紙を読んでくれたまえ」とオーウェンズは答えた。 その手紙にはこう書かれてあった。 親愛なる世界の皆さん:
あまりにも長い間、我々アフリカ系アメリカ人は忍耐をし続け、世界が我々を差別することを許し続けてきた。我々はずっと忍耐を続けてきた。だが、とうとう、もはや我慢できなくなった。そこで私は我々を差別してきた皆さんを降格させることを行うことにした。初めは、皆さんは私の言うことを信じないことだろう。それは確かだ。だが、時間が経つにつれ、これが作り話ではないことを理解するはずだ。
私は、私たち人類の間の階層関係に小さな変更を加えることにした。今週初め、私は大気にある生物的作用物質を放出した。検査の結果、この作用物質はすでに世界中の大気に広がっていることが分かっている。
パニックにならないように。私は誰も殺すつもりはない。もっとも、中には殺された方がましだと思う者もいるだろうが。
この作用物質はあるひとつのことだけを行うように設計されている。それは、黒人人種が優位であることを再認識させるということだ。この化学物質は白人男性にしか影響を与えない。
それにしても、この物質はそういう抑圧者どもにどんなことをするのかとお思いだろう。この物質はいくつかのことをもたらす。その変化が起きる時間は、人によって変わるが、恒久的な変化であり、元に戻ることはできない。また純粋に身体的な変化に留まる。
1.白人男性は身体が縮小する。白人女性の身長・体重とほぼ同じ程度になるだろう。この点に関しては個々人にどのような変化が起きるかを予測する方法はほとんどないが、私が発見したところによれば、一般的な傾向として、女性として生れていたらそうなったであろう身体のサイズの範囲に収まることになるだろう(その範囲内でも、小さい方に属することになる可能性が高いが)。
2.白人男性はもともとペニスも睾丸も小さいが、身体の縮小に応じて、それらもより小さくなるだろう。
3.白人男性のアヌスはより柔軟になり、また敏感にもなる。事実上、新しい性器に変わるだろ。
4.声質はより高くなるだろう。
5.腰が膨らみ、一般に、女性の腰と同じ形に変わっていく。
6.乳首がふくらみを持ち、敏感にもなる。
7.最後に、筋肉組織が大きく減少し、皮膚と基本的な顔の形が柔らかみを帯びるようになるだろう。
基本的に、白人男性は、いわゆる男性と女性の間に位置する存在に変わる(どちらかと言えば、かなり女性に近づいた存在ではあるが)。すでに言ったように、こういう変化は恒久的で、元に戻ることはできない。(現在も未来も含め)すべての白人男性は、以上のような性質を示すことになる。
これもすでに述べたことだが、大半の人は、私が言ったことを信じないだろう。少なくとも、実際に変化が始まるまではそうだろう。もっとも変化はかなり近い時期に始まるはずだ。ともあれ、1年後か2年後には、世界はすでに変わっていることだろうし、私に言わせれば、良い方向に変わっているはずである。
親愛を込めて、
オマール・ベル博士
ジョーンズは書類から顔をあげ、質問した。「これは可能なのですか?」 「そんなはずはないのですが」とウィルソン女史が答えた。「でも、大気に何かを放出した件に関して、彼は嘘をついていません。パニックを引き起こそうとしているだけという可能性がありますが、でも……」 「嘘をついていないとすると、大衆レベルでカオス状態になりえる」 とオーウェンズが引き継いで言った。 「それで私の役目は?」 とすでに答えを知りつつも、ジョーンズは尋ねた。 「真実をみつけること。この男の居場所を突き止め、法の正義の元に晒すこと」 とオーウェンズは答えた。「君には当局から全面的な支援を与えよう。そして……」 ジョーンズが遮った。「別に悪気があって言うわけではありませんが、皆さんがかかわると、邪魔になるだけなんですよ。まずは、ここである程度、調査をさせてください。その後は、私個人で調査を行います。ベル博士に関して持ってる情報のすべてに関してアクセスできるようにしてください。でも、まずは、主に経理関係の記録を調べたい」 そして、早速、作業に取り掛かった。デビッドの調査は、単調な作業で、延々、4時間にもわたったが、ようやく有望と思われる情報に出会った。ベル博士は、ある生物化学者に巨額のカネを払っている。その化学者は、最終的には癌の治療に役立つ薬品を開発した人物だった。その名前はジョージ・ヤング。彼は6年ほど前に、世界から姿を消していた。何の記録も残っていない。これは興味深かった。 さらに調査を進めると、ベル博士の会社が、ふたりの男性から多額の資金を献金されていることが分かった。ひとりはジャマル・ピアスという名のチンケな犯罪者と思われる人物であり、もう一人はビジネスマンで、マイケル・アダムズという名だった(この人物に関しては、それ以外の詳細な記録は見つけられなかった)。 デビッドは調査の計画を立てた。この二つの手がかり。ふたつとも行き止まりになる可能性はある。だが、少なくともチェックしておく必要があった。 *
「デビッド・ジョーンズとベル博士の追跡」 David Jones and the Pursuit of Dr. Bell by Nikki J デビッド・ジョーンズは危険な男である。大柄な男ではない(身長は160センチ足らず、体重も65キロ)。だが、その体格は彼に似合っていた。彼はハンサムでもない。ごく平均的な風貌。もっと言えば、彼の容姿の何もかもが「普通」という言葉を叫んでいた。一見するとコンピュータ・プログラマや会計士のように見える。だが、それはすべて計算づくである。実際の彼は、そういう職業から、考えられる限り最も遠い存在の人間である。 彼は通りを歩いていた。標的の獲物から一定の距離を保って後をつけていた。デビッドは目立たないスーツを着ており、いつでも容易く通りを歩く人々の中に溶け込むことができる。だが、もし彼を詳しく観察する人がいて、彼のことをよく見たら、確かに分かることだろう。彼の目が6メートル先を歩く男をじっと見据え、決して視線を離していないことを。そして、その彼の目も記憶に残ることだろう。氷のように冷たい青い瞳。見知らぬ人が、後からデビッド・ジョーンズについて思い出せと言われたら、その人は、この彼の瞳のことだけを述べるに違いない。 デビッドが尾行していた男は、濃い色の髪をポニーテールにした大柄の男だった。その男が東ヨーロッパ人であることをデビッドは知っている。それに彼が武器売買の仲介のためにこの街に来ていることも知っている。デビッドの仕事は、その武器売買を阻止することだった。 すでにお分かりの通り、デビッドは、実行する必要があるが、誰にも知られてはならない種類の仕事を行う秘密の政府機関のメンバーである。彼は、ほとんど知られていない脅威から国を守る陰のような存在と言える。めったに人に気づかれない陰。 ジョーンズは大柄の東ヨーロッパ人をさらに2ブロックほど尾行し、男が小さなグローサリー・ストアに入るのを見た。彼は通りの物陰に溶けこむように身を潜め、腕時計を口元に寄せ、ボタンを押した。 「標的が第9通りのグローサリー・ストアに入った。救援を待つ」 彼は典型的なエージェントではない。少なくとも映画に描かれるようなタイプではない。彼は情報で仕事をする。確かに、彼は、格闘になったときにどう身体を動かしたらよいかを知っている。武器や格闘技の技術について何年も訓練を受けてきた。だが、仮に身体的暴力を行使する必要に直面したら、何か恐ろしいほど間違った結果が生じてしまうかもしれない。だから、彼は格闘はしない。見守るだけである。彼は情報を集め、その情報を、身分を隠す必要のない他の誰かに報告するのである。 ジョーンズが見守る中、SWATのバンが現れた。中から黒い防護服を着た男たちが出てくるのを見た。各自、自動小銃を持っている。ドアを破り、中に入っていくのを見守る。そしていくつもの発砲音を聞いた。そして、あの東ヨーロッパ人が手錠をかけられて、建物の中から引きずり出されるのを見た。その30分後、救急車が来て、3体の死体が担架に乗せられて出てくるのを見た。 デビッド・ジョーンズは危険な男である。彼は通りの物陰に溶け込むように身を隠し、そのすぐ後、反対側から姿を現した。そして、通りの流れに融合し消えていく。誰にも気づかれず、誰にも見られずに。 * デビッドは、お気に入りの革製椅子に身を沈めた。家に戻るのは久しぶりだった。両足をオットマンに乗せ、手に持つグラスを優しく動かし、スコッチウィスキーをかき混ぜた(彼はオンザロックに決めている)。彼は働き虫である。デビッドの上司たちは、彼に休みを取るよう強く求めていたが、彼にはその気持ちはない。彼はこの業界でほぼ4年、通しで働いてきた。上司たちは、彼が短くてもよいからすぐにでも一休みしないと、プレッシャーに押しつぶされてしまわぬかと思っていた。 だが、彼らがデビッド・ジョーンズのことを本当には知っていないのは明らかである。とはいえ、そもそも、誰が本当に自分のことを知っているだろうとデビッドは思った。デビッド・ジョーンズと言う名前すら彼の本名ではない。この名前は、最初のミッションを完了したすぐ後に組織から与えられた名前である。 彼はスコッチをひとくち啜り、グラスを横のテーブルに置いた。3ヶ月も休暇をもらっても、いったい何をすればいいんだ? 南の島に遊びに行くような趣味はない(彼の白肌は日焼けに弱かった)。それに、趣味らしい趣味もなかった。会っておしゃべりするような、旧友もいない。彼は仕事だけであり、他には何もなかったのである。 他の人間なら、この孤独を嘆くかもしれないが、それはデビッドの流儀ではなかった。彼は、自分の個人的生活の状態は必要な犠牲であると受け入れていた。彼はこの時間を思考と計画に当てた。デビッドには自分の欲するミッションを追求する自由があった。と言うわけで、彼は次にどの犯罪組織を標的にするか考えることにしたのだった。 その思考に深く嵌っていたとき、彼の携帯電話が鳴った。呼び出し音が2回なる前に、彼は電話に出た。 「ジョーンズです」 「事件が起きた。君には……」 「行先は言わなくてもよい。10分で出向こう」 ジョーンズは高圧的に答えた。 * 9分後、デビッドは、見るからに廃墟の大きな倉庫の外に立っていた。横には故障中の公衆電話があった。彼は、その電話に一連の数字をプッシュし、一歩、引きさがった。すると倉庫の壁に大きな穴が開き、デビッド・ジョーンズはその中に入った。 この廃墟の倉庫は見せかけである。中にはハイテクを駆使した施設があり、そこから国の最高機密のミッションが行われている。デビッドはここに入ったことがあるので、多数のコンピュータや巨大なスクリーン群、そして監視ステーションを見ても驚かなかった。彼は部屋の中をすたすたと進んだ。 デビッドは、どのような状況下でも、ほんのわずかな特徴にすら注意できるよう訓練されていた。だが、そのような訓練を受けていないお調子者ですら、問題が何であれ、すべてのスクリーンに映っているあご髭を生やした禿げの黒人が原因だということは理解できたであろう。 やがてデビッドは長々とした部屋を横切り、あるオフィスの前に来ていた。ノックをし、待つ。2秒ほどした後、ドアが開いた。 「やあ、ジョーンズ。掛けたまえ」 中に入ると、馴染みのある声が彼を出迎えた。部屋の中を見ると、部屋には3人の人がいた。ひとりは、オーウェンズ氏。彼の直接の上司である。他の2人は知らなかった。ひとりは20代後半か30代前半と思われる女性。もうひとりは40代の男性だった。 女性は、ジョーンズも認めざるを得なかったが、ある意味、古典的美女の範疇から言えば、極めて魅力的な人だった。ウェーブのかかった長いブロンド髪、豊かな胸、そして、少なくとも見えている部分から判断して、かなり引き締まった身体。その女性は椅子に座っていたので正確な判断は難しいが、おそらく170センチ弱ほどの身長だろうと推定できる。 他方、男性の方は衰えてしまった元スポーツマンといった身体をしていた。白髪まじりの髪をしており、頭頂部には禿げがはっきりと見えていた。肌は青白く、大半を屋内で過ごしてきたことが分かる。
クウェンティンは、酒を飲みながら、怒りまくっていた。この気持ち、少し酔ってるどころじゃない。友だちにグレッグについて、延々と不平を語り続けていた。だが、聞いてた友人たちは、いい加減、クウェンティンの話しに飽きてきて、ひとり、そしてまたひとりと席を外していった。今は、クウェンティンひとりになっていて、酔って独り言をぶつぶつ呟いていた。 「ずいぶん腹を立てているようだね?」 と彼の右側から、太い声がした。 クウェンティンが顔を向けると、そこには、褐色のハンサムな笑顔があった。 「関係ないだろ」 とクウェンティンは素早く言い、持っていた酒を飲み干した。 だが、その男は立ち去らなかった。その代わりに、しつこく話しかけ続けた。そして、とうとうクウェンティンもその男との会話に加わり始めた。その間、ますます酔いが進んだ。 * 翌朝、クウェンティンが身体を引きずるように玄関を入って来た時も、グレッグは起きていた。クウェンティンの服はしわだらけで、化粧もずれまくり、髪も乱れ切っていた。クウェンティンが何も言わなくとも、グレッグには、何があったのかが分かった。 「裏切り」という言葉がグレッグの心の最前列に浮かんだ言葉だった。だが、クウェンティンを責めることはできなかった。彼のすべての思考に悲しみの色が塗られ、彼は落胆の気持ちをマントで覆い隠した。 「2日以内に、荷物を取りに戻ってくるよ」 グレッグはそう言い、カウチから立ち上がった。 その様子をクウェンティンは見つめていた。「説明するよ……」と言いかけたがグレッグに遮られた。 「説明なんかしなくていいんだ」 グレッグは本気だった。「僕のせいなんだから。こんなに長く僕と付き合ってくれて、驚いているよ」 そう言って、グレッグは開いたままになっていた玄関から出て行った。玄関ドアが閉まる音。その音は、何か最終的であることを思わせた。 * クウェンティンは、はあっと息を強く吐いて、カウチにどさりと腰を降ろした。両手で頭を抱え、そして泣いた。 自分は何を考えていたんだろう? 何も考えていなかった。怒っていて、酔っていて、そしてエッチな気持ちになっていた。この3つが合わさることは、バーで独りでいる可愛いボイにとっては、良いことではない。 そして、予想通り、誰かが彼を利用した。クウェンティンは男の名前すら知らなかったし、セックスのこともほとんど覚えていなかった。過ちだった。最初から最後まで。そして、クウェンティンはその過ちの代償を払ったのであった。グレッグが去ってしまった。何を言っても、どんな言い訳をしてお、グレッグは永遠に帰ってこないだろう。 クウェンティンにはグレッグのことが良く分かる。彼は怒ってはいない。ただ、失望しただけだ。それもクウェンティンに失望したのではない。クウェンティンにそんな行為をさせてしまったことを後悔しているのだ。その彼の気持ちを変えるような話しや言い訳は、どこを探してもなかった。 ああ、グレッグは行ってしまった。永遠に。クウェンティンは何時間も泣き続けた。 * 4年後。 クウェンティンは街を歩いていた。辛い人生だった。グレッグのことから立ち直るのに、ほぼ1年かかった。立ち直ったと言っても、まだ完全ではない。いや、グレッグは、いまだにクウェンティンにとって生涯の恋人のままで、他の誰とも置き換えることはできていない。 それでも、クウェンティンは考えつけるだけ、できるだけ人生を楽しもうと試みてきた。いろんな知り合いとデートを続け、中には楽しいと思ったこともあった。だが、本当の意味でグレッグに匹敵する人は誰もいなかった。 こんなにもグレッグのことを想うクウェンティンだったが、最後にグレッグに会ったあの日(グレッグがアパートから荷物を引き上げたあの日)以来、彼はグレッグに連絡を取ろうとはしなかった。グレッグの方もクウェンティンに連絡を取ろうとはしなかった。そのような時期はもう過ぎたと言ってよい。クウェンティンは先に進もうと試み、そして実際、先に進み始めた。難しいことではあったが。 世の中の方も、クウェンティン同様、先に進み始めていた。2ヶ月ほど前、グレート・チェンジに対する治療法が発見された。クウェンティンは、すでに人生を乱されたのに加えて、さらに乱されるのを嫌がり、その治療法と呼ばれるものを受けないことに決めた。彼は、今の自分に満足しており、かつての自分に戻る気はなかった。 しかしながら、その治療を受けることにしたボイも多かった。その結果、世界のジェンダー分布は落ち着きを見せ始めていた。 歩道を進むクウェンティンの目を、馴染みのある顔がとらえた。向こうから歩いてくる。クウェンティンは冷静に済ましたいと思った。普通にすれ違い、こんにちはと言う。そうするつもりだった。だが、たった2歩ほど歩みを進めた後、彼は、自分が駆け出していることに気がついた。ハイヒールが舗道を小刻みに叩く音が聞こえる。 あっという間に、その人との距離を縮め、彼は、その人の腕の中に飛び込んでいた。そして、心のこもったキスをしていた。 息を吸うためにキスを解いたグレッグが言った。「君に会えて嬉しい」 グレッグが治療を受けたのは明らかだった。再び、以前の彼に戻っていた(ボイであった頃の名残で、若干、女性的で、ちょっと身体が小さいかもしれないが)。 「もう私のところから去ったりしないで」 とクウェンティンは息を切らせながら囁いた。「絶対に」 「ああ、しない」とグレッグは答えた。その2つの単語の後に、再びキスが続いた。 おわり
グレッグは、怒りがじわじわと湧いてくるのを感じた。 もちろん今の流れが分かりそうにないのは分かる。そうだよ、その通りだ。自分も人から見たら、弱くて女っぽいナヨナヨ男だろう。ここにいるクウェンティンも同じだ。そのクウェンティンが、僕をその役割に従わせようとしてる。イライラしてくる! どうして、僕を放ってくれないんだ? どうして、クウェンティンは服を買いに出かけなくちゃいけないんだ? グレッグは、後で後悔しそうになることを危うく言いそうになったが、何とか飲み込んだ。クウェンティンが悪いんじゃない。何も彼は悪くない。クウェンティンは、この悪い状況の中からも最善を得ようと頑張っているだけなんだ。 グレッグは深呼吸をし、買い物袋を掴み、「ありがとう」と呟いた。そして、困惑してるクウェンティンを後に、廊下をずかずかと進み、立ち去った。寝室に入ったが、感情的にドアをバタンと閉めないよう、注意した。そして袋をベッドに放り投げた。 自分は何になってしまったのだろう? 男でないのは確かだ。男というものは、恋人に夜毎、指でいじられ悶えるものではない。男というものは、女のような体形をしているものではない。男というものは、本物の男というものは、逞しいペニスで恋人の身体を貫き、激しく揺さぶり、恋人を喜び泣かせるものなのだ。だが、僕にはそれができない。そうグレッグは思った。自分は男ではないのだ。少なくとも、本物の男ではないのだ。 でも、そうすると、自分は何になったのだろうか? 自分は女ではない。男でもない。あの最近出現したボイにもなりたくない。 グレッグはベッドに倒れ込み、両手で目を覆い、自分の人生について考えた。クウェンティンはグレッグの気分を察して、邪魔はしなかった。それがグレッグにはありがたかった。 何分かそうした後、グレッグは身体を起こし、買い物袋の中をひっくり出した。クウェンティンは、その言葉通り、ひどく女性的なものは何も買っていなかった。ただのジーンズとかTシャツ、それにボイ・ショーツと呼ばれる下着類(それはデザインは男性用のYフロント( 参考)のように見えるが、ボイの体形に合わせたものであるのは一目瞭然だった)。 「クウェンティンは僕のことを思いやりすぎるんだから」 とグレッグは独りごとを言った。恋人の思いやりに、グレッグは、急速に卑しくなっている心が救われる思いだった。 立ち上がり、素早く裸になった。大きすぎる服は、脱ぐというより、締めつけを緩めると重力に引っぱられて落ちると言った方が良かった。そして、ボイ・ショーツに脚を入れた。柔らかく、無毛でつるつるの脚の肌にショーツを通し、確かに、履き心地が良くて、ピッタリだと認めざるを得なかった。 そして、次にジーンズを履いた。普段着ているものよりキツイ感じがした。特にお尻のあたりが。だが、それはサイズが合わないのではなくて、そういうデザインになっているんだろうなと思った。最後に黒い無地のTシャツを着た。 鏡を見て、自分の姿に驚いた。思った以上に女性的に見える。基本的にユニセックスの服を着ているにもかかわらずに、だ。グレッグは深呼吸をし、寝室を出た。 小部屋に入り、グレッグは目に入った光景に驚いた。クウェンティンがいて、腰を折って、前屈みになり、下着を履いているところだった。レースの黒いソング・パンティ。 クウェンティンは振り向き声をかけた。「苦悩から抜け出た?」 グレッグは肩をすくめた。「それって……新しいファッションってわけか?」 クウェンティンはパンティを引き上げ、前を隠し、グレッグの方を向いた。 「僕はこれに馴染もうとしているんだ。この状態を変えることができないならば、ボイっぽく生きて行くことに慣れた方がいいんじゃないかって。それに……」 と言いかけ、少し頬を赤らめた。「それに、これを履くとセクシーになった気分になるんだ。君は、これ、嫌い?」 別にグレッグは、その下着が嫌いだというわけではなかった。それよりむしろ、自分の恋人の変化が気に入らなかった。とは言え、グレッグはクウェンティンの気持ちを害する気持ちはいささかもなかった。 「それ、素敵だよ」 グレッグは嘘をついた。だが、その嘘のおかげで、彼はクウェンティンの輝くような笑みを見ることができた。ああ、いつものクウェンティンだ。僕が恋した男の、あの笑みだ、とグレッグは思った。 だが、その後グレッグはクウェンティンの笑顔以外のところに目をやり、大好きなあの笑顔を見た当初の喜びが、色あせていくのを感じた。彼は、その失望の表情を素早く隠したが、クウェンティンの姿とそれが意味することが、山火事のように彼の心の中を駆け巡った。 クウェンティンはもはや男ではなくなったのだ。心の中も男ではなくなったのだ。ボイであることを受け入れ、それに馴染みたいとの思いから、彼は、男性性にしがみつくための最後の一本糸も手放してしまったのだ。クウェンティンが、世の中の現実を受け入れ、その現実を最大限に有効活用しようとすることを、称賛する人もいるかもしれない。他の人なら、それも良いだろうとグレッグは思う。だが、クウェンティンを見ながら、グレッグは自分のことだけを考えていた。自分が愛した男は、もういなくなってしまったのだ。その代わりに出現したボイを、自分は愛せるようになるのだろうか? * クウェンティンはどうしてよいか分からなかった。新しい衣類を買ってから3ヶ月が経っていた(その後も衣類はたくさん買い込んだ)。そして、その3ヶ月に渡って、グレッグはみるみるクウェンティンから遠ざかるようになっていったのだった。今や、ふたりは滅多に話しあうことはなくなっていたし、グレッグは彼に一度も触れていない。おやすみのキスすらしなくなってしまった。 グレッグは頻繁に仕事を休むようになり、最後には、職を失った。クウェンティンはそのわけを知っていた。誰が見ても明らかだった。グレッグは気持ちがすっかり完全に打ち砕かれてしまったのだった。グレッグは男ではない。だが、ボイになりたいとも思っていなかった。彼の恋人は、もはや、好みのタイプではなくなっていたし、彼自身を形成していた男性性も失ってしまった。 クウェンティンが、たとえ困った状況であれ、それをできるだけ利用しようと決意し、すぐにボイであることを楽しむように変わったのに対して、グレッグはボイであることを真っ向から拒み、自己憐憫と喪失感に嘆き悲しむことを選んだのだった。 今の状況は理想的か? いや、ぜんぜん。その正反対だ。だが、クウェンティンは、自分とグレッグとの精神的な愛は、性的な魅力よりも強いものだと思っていた。 しかしながら、クウェンティンも単にそれだけとは思っていない。彼自身も変わったのだ。真にボイになろう、態度も服も心もボイになろうと決めた時、彼は、がむしゃらにそうなることを求めた。そうして、彼は、事実上、別の人間に変わったと言ってよい。そして、クウェンティンは、グレッグが最も高く評価していた部分を、見事に、喪失してしまったのである。それを自覚したクウェンティンは深く心を痛めた。 でも、何ができただろう? 環境の変化に対処するということは、愛情とは別のことだ。クウェンティンは、他の多くのボイたちも似たように反応しているのだろうと思った。そして、グレッグもいつの日か今の状態から抜け出るはずだと自分に言い聞かせ続けた。しかし、実際は、日ごとにグレッグはより悪い状態に嵌っていく。 あの事件のことをメディアはグレート・チェンジと呼ぶようになった。そのグレート・チェンジから1年半ちょっと過ぎた頃、とうとう、クウェンティンは、もうたくさんだと思うようになってしまった。もちろん、それまではずっと、彼は、自分の変化、グレッグの幸せと心の安寧にだけ、気持ちを集中させていたのである。自分自身とグレッグの変化について、一度も、悩まなかったことはなかった。 しかし、グレッグは「以前の自分」という殻に閉じこもったきりだった。めったに冗談を言うことはなくなったし、思いやりも愛情も示さなくなっていた。他の人の問題や心配ごとに、ほとんど関心を持たなくなっていた。端的に言って、グレッグは、完全に、人に好かれる人間ではなくなっていた。 そういう流れで、ある日、クウェンティンは腰を降ろし、グレッグに話しかけた。 「ちょっと聞いてくれ、グレッグ。僕は君を愛している。君が思っているよりもずっと、僕は君を愛している。でも、君は、今の状態から抜け出なくちゃいけないと思うんだ。心理療法士とか、そいうところに行くべきだよ。今の状況は変わりそうにない。君が突然、男に戻るということはない。だから、何と言うか……君には助けが必要なんだよ」 「話しはそこまでか?」 とグレッグはクウェンティンの方を向きもせず、吐き捨てるように言った。 「話しはそこまで? ああ、たぶん」とクウェンティンはむっとして答えた。「僕は、どう君に伝えていいか分からないだけなんだ」 「僕に何を求めている? 僕にフリルがついたパンティを履いたりドレスを着たりしてほしいのか? いいよ、着るよ。君は僕に化粧をしたりヘアスタイルに気を使ったりしてほしいのか? 何でもいいよ。僕は従うよ」 グレッグは棘のある言い方をした。 「僕は君に幸せになってほしいんだ!」 とクウェンティンが大きな声を上げた。 「見込みは薄いな」 とグレッグが吐き捨てた。 その後に沈黙が続いた。何秒か、ふたりとも何も言わなかった。クウェンティンはビックリしていた。グレッグは疲れ切ったように、遠くを見ていた。 「ちょっと、さっきのは言いたいことではなかった」 とグレッグは丸1分ほど経ってから、静かな口調で言った。 「いや、本気で言ったんだろ」とクウェンティンが答えた。「僕は……ふたりでこれを切りぬけられると思っていた……そう願っていたよ」 クウェンティンの頬を、一筋、涙が伝った。「でも、僕一人では無理だ。君自身がそれを望んでくれないと」 グレッグは黙ったままだった。 「どうなの?」 クウェンティンが訊いた。 「分からない」 と短い沈黙の後、グレッグが答えた。 その返事に、クウェンティンは打ちのめされた。グレッグが自分に性的魅力を感じていないことは知っていた。だが、愛があれば、自分たちは何らかの打開策を見つけ出すだろうと期待していた。 いや、それでもないとクウェンティンは思った。性的魅力の欠如と言うよりむしろ、性的魅力を使って行いたいことに関するフラストレーションと言った方がよいのではないか。要するに、グレッグは男になりたいのだ。男としての性的魅力を発揮したがっているのだ。ボイとか女性としての魅力ではなく。 確かに、グレート・チェンジの前は、ふたりは理想的な状況にいた。だが、クウェンティンは、もし、グレッグが前と変わらず男性のままだったら、彼はふたりの関係について疑問を抱かなかっただろうと知っている。だが、現状は変わったのだ。そうすると、問題は、前の状態を引きずっているグレッグにある。彼が今の状況で不幸であると思っている限り、彼は、誰に対しても、そして自分自身に対しても、真に愛情を注ぐことができない。 クウェンティンは座っていたカウチから腰を上げた。 「ならば、君は君自身で答えを見つけてくれ。僕は誰か友だちと遊びに行く。明日の朝までに、この状況から本気で抜け出したいのかどうか答えを見つけておくといいね。僕は君を愛している。でも、僕は、その僕の愛情に対して、そのお返しをする気がない人と一緒に自分の人生を無駄遣いする気はないんだ」 そう言ったきり、クウェンティンは家を出た。 * 玄関ドアがバタンと音を立てて閉まった。当惑したままのグレッグを、独りっきりに残して。 自分はクウェンティンとの関係を続けたいのか? 自分はクウェンティンのような人に値する人間ではないのではないか? グレッグには分からなかった。それでも、クウェンティンはあれだけ長く僕といてくれたし、これからも長く一緒にいたいと思ってくれている。それは何かに値するんじゃないのか? だが、自分はいまだに現の自分の姿にほとんど考慮を払っていない。身体の変化から帰結した個人的な悪気として始まったものが、無力感につながり、それが渦を巻いてコントロールできなくなってしまっている。鬱屈した気持ちが次々に積み重なっていく。 かつて自分がそうであった男はどこに行ってしまったのか? 確かに身体的変化があったからと言って、本来の自分を完全に消滅できるわけではない。違うだろうか? それに、そういう男はクウェンティンは値しないのではないか? 少なくとも、ボイは彼には値しないのでは? グレッグは、クウェンティンならそうは思っていないと分かっているが、その自信がもてない。自分が彼にとって価値がある存在なのか、確信できない。 でも、今のままではダメだ。頑張らなければならないのだ。クウェンティンのためと言うより、自分自身のために。その努力の道はあまり良い結果にはならないだろうと思っている。自分が自己崩壊してしまっているのにも気づいている。ほぼ1年も、自己崩壊状態に浸って来たのだ。こんなふうに人間性を欠いた状態で人生を生き続けたら、結局、どうなってしまうのだろうか? グレッグは、それを考えただけで身体が震えた。 しかしながら、自分が変わる必要があると知ることと、実際に自分を変える意思を持つことは、まったく異なる。そしてグレッグ自身、そういうことを前にも考えた。自分を変える意思を持つということは、どういうことなのだろうか? 確かに、心理療法士も含まれるだろうが、その心理療法士は彼に多くのボイたちがなったような、ナヨナヨしたオンナ男になれと言うだろうか? それ以上に、その心理療法士は彼に「普通」になって、男たちの後を追いかけ、男と結婚しろと言うだろうか? それで何が解決するのだろうか? そうすることで自分は幸せになるのだろうか? グレッグは答えが恐ろしかった。イエスにせよ、ノーにせよ。 だが、それ以上に、グレッグにはひとつ単純な真理が見えていた。グレッグは、世界中の何より、クウェンティンのことを愛しているということである。彼のためなら何でもしよう。それは真実だ。 それに気づいた瞬間、グレッグはすべての疑問が解決していくのを感じた。クウェンティンを失うことは耐えきれない。そうならないためにどんなことでもしよう。それが、女性的なボイになることを意味するとしても、そうしよう。クウェンティンが何を求めても、彼の人生がどんなふうに変わっても、愛のために、クウェンティンのためにどんなことでもしようと思った。すべての疑念の暗闇の果てに、彼はそんな光を見つけたのだった。 それに気づき、グレッグは活気を取り戻した。そうしてほぼ1年ぶりに、彼は、未来について興奮を覚えたのだった。 *
「でも、着るものが何もないよ!」とクウェンティンは文句を言った。「持ってる服は全部、3倍から4倍、大きすぎるし、30センチは長いんだ」 「じゃあ、買い物に行こう」 とグレッグ。 「でも、何を? 子供服のブラウスか?」 クウェンティンは皮肉っぽい声を上げた。 「そんなダブダブの服じゃないヤツな」 「はいはい、ありがとう! でも、真面目に言って、何を着たらいいんだろう?」 「多分、婦人服しか合うものがないんじゃないかな」とクウェンティンが言った。 実際、クウェンティンも、質問する前に、その答えを知っていた。自分の体形を知っていれば、答えは壁に書かれているようなものだ。 クウェンティンは、許容できる恥ずかしさについてのレベルは結構、高い。だが、婦人服売り場で服を買うというのは彼にとってすら、限界を超えている。そのことをグレッグに伝えると、グレッグはそっけない返事をした。 「この問題を抱えてるのは君だけじゃないのは知ってるだろ? 世界中のすべての白人男が似た問題に直面してるんだ。君がそこで買い物しても目立つわけじゃないと思うけどなあ。でも、そんなに気になるなら、オンライン・ショッピングをしたらいいんじゃないかな。そうして、自分で選ぶ。オンラインなら、まさにこの問題を扱ってるところがあると思うよ」 クウェンティンはグレッグの言うことが正しいと知っていた。こんなにありふれたことになっていることについて、恥ずかしがるのは理性的じゃない。だけど、それでも、自分では、できそうもない。そこで彼は、グレッグのアドバイスに従って、パソコンの前に座った。検索エンジンを出し、「白人男性と衣類」というキーワードを打ち込んだ。 最初に出てきたのは、女性化した白人男性の画像で、あからさまに女性的な衣類を着てるものだった。ピチピチのジーンズやカプリ・パンツ( 参考)やランジェリからスカートやドレスに至るまでの数々の衣類を着ている。クウェンティンは、これは何か奇抜ファッションだろうと思い、それらをスキップした。 そうしていくと、彼は「ニューヨーク・タイムズ」に掲載された記事に出会った。それにはこう書かれてあった。 * * * * * 「調整するということ:すべてのボイたちが知っておくべきことのいくつか」 イボンヌ・ハリス著
数ヶ月前、オマール・ベル博士が大気に生物化学物質を放出し、それはこの何ヶ月かに渡って、私たちの白人男性に対する従来の考え方を効果的に根絶することになりました。男性的ないかにもアメリカ男といった存在は消滅し、その代わりに、小柄な(通常、身長165センチに満たない)男の子と女性の中間に位置する存在が出現したのです。ですが、そのことを改めて言う必要はないでしょう。あなたがこの記事を読んでるとしたら、自分がどう変わってしまったかを一番よく知っているのはあなた自身であるから。この記事の目的は、情報提供にあります。(以降、この記事ではボイと呼ぶ)白人男性たちが、依然として男性のように振舞おうとあくせくしている様子がいまだに続いています。それは間違いなのです。あなたたちはもはや男性ではありません。ボイなのです。それを踏まえて、この記事では、いくつかの主要な問題点に取り組むことにします。それは挙措、セックス(イヤラシイ!)、そして服装という3つの問題です。それでは、前置きはこのくらいにして、早速、本論に入りましょう。
すでに述べたように、最初の問題は挙措についてです。どういう意味だろうかと思うかもしれません。まあ、「挙措」とは態度、振舞いのことを言う気取った用語ですが、それ以上のことも意味します。挙措には、普段の姿勢から歩き方に至るあらゆることが含まれます。ボイたちが、これまでと違ったふうに振る舞うことを学ばなければいけないというのは、奇妙に思われるかもしれませんが、でも、率直に言って、あなた方が男性のように振舞おうとするのは、マヌケにしか見えないのです。10代の若い娘が、その父親のように振舞おうとする姿を想像してみるとよいでしょう。まさにそれと同じです。ボイが男性のように大股で歩くのを見ると、まさにそれと同じくらい奇妙に見えるものなのです。
ボイは、男性とは異なるがゆえに、男性とは異なるふうに振る舞うべきなのです。この点はいくら強調しても足りません。というわけで、外出しようとするあなたたちボイに、いくつか指針を提供しましょう。まず第1に、背中を少し反らし続けること。その姿勢を取ると、あなたのお尻を完璧に愛しいものに見せることになります。第2に、腰を少し揺らすようにすること。男性はそれが好きです(これについては後で詳しく述べます)。第3に、怖がらず、エアロビクスを行うこと。皆さんは身体の線を保つ必要があります。太ったボイは孤独なボイになってしまいます。個人的にはストリッパーのエアロビを勧めますが、他のどんなエアロビでもよいでしょう。ですが、私が提供する指針で一番重要なものは、次のことです。女性をよく観察し、彼女たちをまねること。皆さんは、女性にはるかに近い存在となっているのです(しかも、性的な目標もきわめて類似している。これについても、やはり、後で詳しく述べます)。そして、女性たちは皆さんよりはるかに以前から、これを実行してきている。なので、ボイたち、私たちを観察し、学習するのです!
触れなければならないふたつ目の問題は、服装に関する問題です。(あなたが、元々、発育がよくなかった男子だった場合は別ですが)みなさんの大半は、おそらく、持っている服のすべてが、もはや自分に合わないことに気づいていることでしょう。ですから、皆さんは、すべて新しい服を買い直す必要があります。たいていのデパートでは、直接ボイを対象にして、新しいセクションを開いています。なので、そこから始めるのが良いでしょう。ですが、予算に限りがあるならば、勇気を持って、あなたのサイズに近いガールフレンド、妻、あるいは姉妹から服を借りるとよいでしょう。
ただし、いくつか注意すべき点があります。まずは下着から話しましょう。ボイはパンティを履くこと。そうです。ブリーフやトランクスではありません。パンティです。みなさんの体形は、パンティを履くようになっているのです。パンティを履くことを好きになるように。私も、新しいセクシーなパンティを履くのが大好きです。それを履くと、自分に自信がみなぎるのを感じるものなのです。ボイの中には自分の女性性を完璧に受け入れ、ブラジャーをつけ始めた人もいます。そのようなボイたちの適応力に、私は拍手をします。ですが、私の個人的な意見を言わせていただければ、ボイはブラをつけるべきではありません。どの道、ボイには乳房がないのですから(今の時点では、なのかもしれませんが。気の狂ったベル博士が何をしたか、知ってる人は誰もいませんし)。皆さんは、女の子でもありません。ボイなのです。ボイには乳房はありません。ゆえにブラの必要はないのです。
アウターに関して言うと、基本的に女の子が着る服なら何でも適切と言えるでしょう。スカートからジーンズ、ブラウスからドレスに至るまで何でもよいでしょう。着てみて似合うと思ったら、着るべきです。注意すべきは一つだけ。(たとえサイズがかろうじて合うような物であっても)紳士服を着たら変に見えるということを忘れないこと。皆さんは、決して男性のようにはなれないのです。ですから、婦人服や、ボイ、あるいは子供服のセクションにある服に限定すべきなのです。
最後に、セックスについて少しだけ触れたいと思います。もし、この話題に関して嫌な感じがしたら、即刻、読むのを止めてください。
よろしいですか? まだ、読み続けていますね? よろしい。
ボイの皆さんは、性器に関してサイズが減少したことに気づいているかもしれません。この変化に気恥ずかしさを感じた人も多いことでしょう。でも、そんな恥ずかしがることはないのです! ボイが小さなペニスをしていることは完全に自然なことなのです。最近の研究によると、白人男性の平均のペニスサイズは4センチ程度になっており、しかも、それより小さいことも珍しくはありません(実際、私の夫は、2センチ半にも達しません。これ以上ないほどキュートです)。ボイの皆さん、心配しないように。そんなペニスのサイズなんて、もはや、それほど重要なことではなくなっているのです。そのわけをお話ししましょう。
皆さんは、以前に比べて、アヌスがかなり感じやすくなっていることに気づいているかもしれません。皆さんの身体はそういうふうにできているのです。その部分を、新しい性器だと考えるようにしましょう。女性にはバギナがあります。男性にはペニスがあります。そして、ボイにはアヌスがあるのです。恐れずに、その新しい性器を試してみるとよいでしょう。その気があったら、そこの性能を外の世界で試してみるのもよいでしょう。ガールフレンドから(あるいは、気兼ねなく言えるなら、姉や妹から)バイブを借りるのです。そして、街に出かけるのです。すぐに、そこが「まさに天国みたい」に感じることでしょう(これは私の夫の言葉です)。
さて、皆さんの人生にとって最も大きな変化となることが、次に控えています。多分すでに予想してることでしょう。そうです。ボイは男性と一緒になるべきなのです。これは簡単な科学です。ボイは女性とほぼ同一のフェロモンを分泌します。それに、男性のフェロモンに晒されると、ボイは女性とほぼ同一の反応を示すことも研究で明らかになっています。
これが何を意味するか? ボイの皆さん、気を悪くしないでください。ですが、皆さんは男性に惹かれるようになっているのです。もっとも、男性の方も皆さんに惹かれるようになっているのです。そのような身体の要求に抵抗したければ、してもよいでしょう。ですが、これは自然なことなのです。この事実と、皆さんが感じることができる新しい性器を持っている事実を組み合わせてみれば、なぜ、ベル博士があの物質を放出して以来、男性とボイのカップルが400%も増えたのか、その理由が分かるでしょう。
ボイにとって、ヘテロセクシュアルであるということは、男性を好むということを意味するのです。そのことを拒むボイも多数います。そのようなボイは、基本的にホモセクシュアル(つまりレズビアン)であることを意味します。あるいは、少なくとも様々な実生活上の理由から、レズビアンになっているということを意味します。多くの女性が、変化の前は、男性と結婚していた(または男性のガールフレンドになっていた)わけですから、変化後もその関係を続けるとなれば、ボイはレズビアンになることになるわけです。
一応、その事実を念頭に置いてですが、そういうボイの皆さんには近所の「アダルト・ストア」に行き、何か…突き刺すもの…を探すことをお勧めします。あなたもあなたのパートナーも共に同じ種類の欲求を持つので、おふたりが共に満足できるようなものを手元に置いておくことがベストでしょう。
これを読んでる皆さんの中には、まだ拒絶状態でいる人も多いと思います。厳しいことを告げる時が来たかもしれません。どうか、鏡を見てください。何が見えますか? その姿は男性ですか? 決してそうではないでしょう。その姿は女性ですか? いいえ、違う。鏡の中からボイがあなたを見ているはずです。ボイはボイらしく行動する時が来たのです。
カウンセリングが必要な人もいるでしょう。それは良いことです。政府は、そのような要求に備えて、国中にカウンセリング・センターを設置しました。そこに行くこと。そして新しい自分を受け入れる方法を学ぶことです。この記事が役に立てばと期待しています。それでは今日はここまで。ありがとう。次週は、パンティを履くことが、あなたに人間としてどのようなことを教えるかについてお話します。* * * * * クウェンティンは、この記事を読んで、その情報で頭がいっぱいになるのを感じた。彼もグレッグも、ほぼ6年間、仕事で有給休暇を取っていなかったので、ふたりともかなりの休暇権利を溜めこんでいた。先月は、それを利用して、変化に対応するため仕事を休んでいた。ふたりとも、大半の時間はアパートに引きこもって一緒に過ごし、古い映画を見たりしていた(加えて、気持ちの点でも効果の点でも、結局はレズビアン・セックスと同じと言えるようなことも、たくさん)。ふたりが外の世界に出て行くのは、近所のスーパーマーケットに行くことくらい。 そのため、世界の変化をほとんど知らなかったと言える。 世界は、たった一ヶ月で、こんなに変わりえるものなのだろうか? クウェンティンはほとんど信じられなかった。もう一度、記事を読みなおして、これが巧妙なフェイク記事ではないことを確かめた。やっぱり、そんなデマ記事じゃない。「ニューヨーク・タイムズ」に実際に出た記事だし、このコラムニストは毎週記事を書いている人だ。 でも、これは何を意味するのだろう? 新しい服を買わなければならないのは分かった。今の服は全部、身体に会わない。でも、ドレスやスカートや女性用ランジェリを買うことになる? 彼はパソコンの前に延々と座ったまま考え続けた。そして、ようやく、ある結論に達した。この記事は別として、世の中がどうなってるか自分自身の目で確かめてみる必要があると。それをするのに、モール以外に適切な場所などあるだろうか? 彼はジーンズを出し、ベルトをきつく締めた。それにTシャツを着た。今はダブダブのバギーなTシャツにしか見えないが。そして、グレッグに、行ってきますのキスをした後、モールへと出かけた。 * 車から降りたのとほぼ同時に、クウェンティンは、あの記事は正しかったと分かった。いたるところに婦人服を着ていると思われるボイがいた。そして、そのかなり多数が、黒人男性と腕を組んでいた。 生物エージェントが大気に放出されてから、たった6ヶ月しか経っていない。なのに、すでに、白人男性は、まさにベル博士が想像した姿に変わっている。女性的なナヨナヨした男たち。白人男性の時代は終焉していた。その代わりに、白人ボイの時代が勃興していた。 頭がくらくらするのを感じながら、クウェンティンはモールの中を歩き進んだ。女性、ボイ、そして男性の3種類の人々。みな、普通に振る舞っている。ボイがスカートやドレスや、その他の婦人服を着ていても、誰もじろじろ見たりしない。振り返られることすらないのが大半だ。その逆に、クウェンティンの方を、不快そうな嫌な目で見る人がいた。そんな目で見る人にとっては、クウェンティンは、昔のジェンダーにふさわしい(しかも、大きすぎる)服しか着られない、世捨て人となっていた。 彼は店に入り、特別に「ボイ服」とのサインがある売り場があるのを見た。そして、素早く、そこへ向かい、様々な衣類を調べ始めた。それを始めてから、2分もしないうちに、セールス・ボイが近づいてきて、クウェンティンに声をかけた。 「先延ばししてきたんでしょ?」 「えぇ?」 「新しい服を買うのを。それを延期してきたんですよね? 私も最初はそうだったから」とセールス・ボイが答えた。 クウェンティンは溜息をつき、返事した。「ああ、たぶん。実を言うと、このひと月、ずっと家に閉じこもっていたんだ。そして、世の中がどれだけ変わったか、知らなかったんだ」 「ちょっとシュールな感じ?」とセールス・ボイ。 「ああ、まあ少なくとも、不思議な感じと言えるかも。こんな短期間に、こんなにすべてが大きく変わってしまったなんて」 「まあちょっとね」とボイは言った。「でも、実際は、そんなに驚くべきことでもないのよ。私は心理学を専攻している大学院生なのだけど、ちょっと考えてみれば、理解できると思うわ。私たちは男性に惹かれる。男性は女性が好き。そして、これが……」とボイは、自分が着てるスカートとブラウスを指差し、「これが、女性が着るもの。ゆえに、私たちは、こういう服を着たくなる。加えて、私たちが欲求を追及しても、嫌な顔で見られないという事実もあるわ。そうすると、物事が急速に変化したのを理解するのは難しくないんじゃない?」 クウェンティンは、このボイの論理に頷いた。ボイはさらに続けた。 「それより何より、婦人服や、そのボイ・バージョンの服は、女性的な魅力を見せるように作られているの。だから、そういう服の方が紳士服より、ずっと私たちに似合うのよ。そうなるのは、まさに……自然なこと」 「自然なこと」とクウェンティンは考えた。ボイ用服の売り場を見まわしながら、確かにそのように思った。見回してみると、かつては間違いなく逞しい男性的な男であった人が、フリルのついた下着やスカートやドレス、そして他の女性的衣類を買い求めている。その人たちは、まったく、居心地悪そうにしているとは見えない。自然なこととセールス・ボイは言った。それに同意しないというのは困難なことだろう。 * グレッグは古い映画を見ていた。正確には、『暴力脱獄』( 参考)。その時クウェンティンが両腕を買い物袋でいっぱいにして、ドアを押しながら入ってきた。 「ちょっとヘルプ!」 そう呼ぶと、グレッグがすぐに駆け寄り、クウェンティンを助けた。 「どうやら、何か着るものを見つけてきたようだね」 とグレッグがちょっと意味ありげな笑みを浮かべた。 「君の分もあるよ。サイズは想像してかったから、いくつか後で返品しなくちゃいけないのもあるかも」 「ああ」 との言葉だけがグレッグの反応だった。 「そんなふうに取るなよ。僕同様、君も服が必要だろ」とクウェンティンは荷物を床に置いて、玄関を締めた。 「僕が話した、例の記事、読んだ?」 「ああ」 とグレッグは言った。確かに驚くべき話だったが、グレッグはクウェンティンほど世間から離れていたわけではなく、あの記事がいうことの具体例は見ていた。 「信じないかもしれないけど、あの記事が言っていたことは全部、本当だよ。衣類から、ボイと男とか、何もかも」 とクウェンティンは興奮して言った。 「知ってる。この2週間ほどいろいろ目にしてきたから……」 「ええ? 知っていたの?」 とクウェンティンは訊いた。だがグレッグが答える前に彼は続けた。「まあ、それはいいや。それより、新しい服を試着してほしいんだ。サイズを間違えたかもしれないから」 グレッグは、困ったような溜息を漏らした。 「大丈夫だよ。あまり女っぽいのは買わなかったから。スカートとかレースとかは買ってない」 「それはそれは」 とグレッグは皮肉っぽく言った。 「こっちのふたつの袋は君の物」とクウェンティンは言い、右端の袋を指差した。「それから、これは言っておくけど、君も、こういう服に慣れておく方がいいよ。君も知ってるように、どうやら、この流れは変わりそうにないから」 グレッグは、怒りがじわじわと湧いてくるのを感じた。
ウェブホストの入金を忘れてた(汗) 今週末辺りには復帰してるかと。
心の痛み、それはまったくユニークな感情に思える。その痛みの元がよりなじみ深いものになるにつれ、時間を経て、痛みは最終的には薄れて行くが、完全に私たちの中から痛みが消えるということは決してない。それは、続く数ヶ月におけるクウェンティンについてもあてはまった。 彼は、世界中の白人男性同様、その後も変化し続け、自分のおかれた環境の現実に順応していった。当初感じた、恐怖感に由来する鋭い心の痛みは、やがて、鈍いズキズキした痛みへと変わった。 クウェンティンが恐れているものは、数多く存在した。 グレッグは今も自分に心を惹かれてくれているのだろうか? 世界は、この変化にどういった反応を示すのだろうか? 友人や同僚たちはどうなのだろうか? 例の生物化合物が少し変えられていて、ベル博士が意図したよりも悪い変化が出てきたら、どうしたらよいのか? だが、やはり、一番の心配はグレッグのことだった。 ベッドでは、グレッグが支配的である。これは確かだ。クウェンティン自身は正確には従属的とは言えなかったが、グレッグが支配的であることが、ふたりが惹かれあった中核部分にあったのは本当だ。日常生活では、ふたりの間で継続的に主導権争いがある。だが、寝室ではふたりの役割は明瞭だった。クウェンティンが下で、グレッグが上なのである。その他の点では、ふたりは支配力を求めて競い合った。 もちろんグレッグは隠そうとしていたが、身体の変化は、クウェンティンの精神に影響を与えたのとちょうど同じように、グレッグ自身の精神にも影響を与えていた。彼は、様々な局面で支配的立場を主張しようともがいていた。だが、日増しに自信が揺らぎ始め、とうとう、ほぼすべてのことについて、決定を下そうとしても疑問を感じてしまうまでになっていた。決めようとしても、ためらってしまう。そして、毎日、その状態が悪化していく。 やせ細り、身体が縮小していくのにつれて、グレッグはますます自分の意見を引き下げるようになった。クウェンティンは、グレッグが夜に寝室でひとり啜り泣きしているのを知っていた。そんな時、クウェンティンは、寝室に入って恋人を慰めてあげたいと切に思うのであるが、グレッグは弱みを見せるのを拒むだろうとも分かっていた。たとえ、頬に涙を伝わせていても、頑として認めないだろうと。 いや、それも違う。恋人であり親友であるグレッグを、本当に、心から助けてあげたいと思っているが、そういうふうにすると、かえって、より多くの心の痛みを与えてしまうことにしかならないのだ。 そう思うがゆえ、クウェンティンは、悲しみにくれるグレッグを何も言わずにそっとしていたのだった。時がたてば、そしてこの変化に慣れていけば、心理的影響は弱まっていくだろう。そう期待しながら、ただ黙って見守ることにしたのだった。 日々が過ぎ、さらに2ヶ月が過ぎた。 ふたりの体格は落ち着き始めた。クウェンティンは、結局、身長おおよそ162センチ、体重52キロになった。一方のグレッグは、前はクウェンティンより若干大きかったのだが、結局、身長155センチ、体重47キロになった。グレッグは、見るからに、ほっそりとして、繊細な印象に変わっていた。 そして、ベル博士の手紙が警告していたように、ふたりの体形も大きく変わっていた。男性的なきゅっと引き締まったお尻や幅広の肩は姿を消した。その代わりに、女性的な細いウェスト、幅広の腰、丸いお尻そして小さな肩が現れていた。 ある夜、クウェンティンはベッドで横たわりながら、ベッドに入る支度をしているグレッグを見ていた。グレッグはだぶだぶのトランクスだけを履いた姿でいた。そんな彼の姿をクウェンティンはじっくりと観察した。 乳房がないことを無視したら、本当に、小柄な女性の身体としか思えなかった。お尻は小ぶりとは言え、丸く盛り上がり、お腹のあたりも若干曲線を帯びていて、女性的だった。そしてクウェンティン自身、同じような女性的体つきになっているのを知っていた。 グレッグの身体が良くないというのではなかった。そうではなく、今のグレッグの身体はクウェンティンが好む身体ではなくなっているということ。クウェンティンは、大きくて逞しい身体をした男が好きなのだ。「大きくて逞しい」は、今のグレッグの身体を描写するのに使う形容詞とはもっともかけ離れた言葉だろう(それを言ったら、クウェンティンの身体についても同じなのだが)。 ベッドに横たわりながらグレッグを見ていたクウェンティンは、あることに気づき、何かに頭を強打された気持ちになった。 とはいえ、これは突然起きたことではない。ふたりは、この4週間、まったくセックスをしていなかった。だが、この瞬間、クウェンティンは、自分が自分の恋人にまったく性的に魅力を感じていないことに気づいたのだった。これに気づき、彼は恐怖を感じた。そして、こんなことは忘れようと思った。 グレッグもベッドに入り、横にきたのを受けて、クウェンティンは、唯一すべきことと彼が思うことを行った。自分がグレッグに惹かれていないという考えを頭の中から消したかった。なので、自分は間違っていると証明しようと思ったのである。 両手をグレッグのお腹の方へ伸ばし、滑らかで柔らかい肌に触れた。それから指をお腹の曲線に沿って軽く走らせた。身体を起こし、グレッグの胸に顔を寄せ、彼の膨らんだ乳首にキスをし、舌先でチロチロと弾いた。 その努力は報われ、小さな喘ぎ声が聞こえてくる。女の子のような喘ぎ声。 クウェンティンは小刻みにキスを続けながら、グレッグの乳首から首筋へと上がった。そして、ふたりの唇が触れあう。ふたりは情熱的に唇を密着させた。クウェンティンの手は、グレッグのトランクスの中へと忍び込んだ。 グレッグのペニスを見つけるのに少し時間がかかってしまった(こんなに小さいとは!)。クウェンティンはようやく見つけた、その柔らかいモノをいじり始めた。何分か擦り続けたが、実りはなかった。グレッグはとうとう、イライラした溜息を出し、クウェンティンを押しのけた、くるりと寝返り、向こうを向いた。クウェンティンはグレッグが小さく啜り泣く声を聞いた。 「どうしたの? 僕たちはてっきり……」 とクウェンティンは話し始めた。 「ダメなんだよ! クウェンティン、君も知ってるはずだ。もう、勃起できないんだ。それに勃起したとして、僕に何ができる? たった5センチだぞ? 君は何も感じないだろう」 「そんなの気にしないよ。ただ僕は……」 「でも、僕が気にする!」 グレッグは荒い声でそう言い、クウェンティンの方に向き直った。「こんな男がどこにいるんだ? 僕は好きな人にすら……」 彼の声は小さくなった。 クウェンティンは人差し指を立て、グレッグの唇に当てた。 「ふたりで切り抜けるんだ」 「でも僕は……」 「同じことを言って? ふたりで切り抜けるんだ」 「ふたりで切り抜ける」 とグレッグはくぐもった声で言った。 じゃあと、クウェンティンは、わざと無理に笑顔になった。「アレを使わなくても、何かちょっと楽しむ方法を見つけられると思うよ」 クウェンティンはグレッグの上に這い上がり、彼の脚の間にひざまずいた。そうしてグレッグのトランクスを引っぱり、脱がし、それから頭を下げて、グレッグのペニスを口に含んだ。 柔らかいままだったが、精一杯、舐め吸いを続けた。何分か続けたとき、クウェンティンはあることを思い出した。あのベル博士の声明文だ。アヌスが前より敏感になると言っていた。そこで彼は舐め吸いを続けながらも、指を出し、グレッグの中に滑り込ませた。 「あぁッ!」 とグレッグが喘ぎ、肛門をヒクつかせた。クウェンティンの指を絞る動きをしている。 クウェンティンは指を出しては入れを繰り返した。何かヌルヌルしたものを感じた。多分、天然の潤滑液だろうと思った。そして、今度は指を2本にした。グレッグのペニスが反応し、勃起して、5センチほどになった。 その、たった2分後、グレッグはクウェンティンの口の中に射精した。クウェンティンは驚いた。その味が、以前の塩辛い味ではなかったから。彼のザーメンは、甘かったと言っても良かった。 クウェンティンはグレッグの上に覆いかぶさり、グレッグの腕の中に抱かれた。 「分かっただろう? 方法を見つけられるって、僕が言った通り」 クウェンティンはそう言って、恋人にキスをした。それから、仰向けになって脚を広げた。 「今度は君の番。君ができることをして見せてくれ。セクシーなグレッグ!」 セクシーな、とは言ったけれど、クウェンティンは正直ではなかった。グレッグのことをとても魅力的だと思う人がいるのは知っているけど、クウェンティン自身は、そう思っていない。それでも、彼は嘘をついた。こういう嘘をつくことに慣れていくのだろうと思った。 グレッグはニヤリと笑い、クウェンティンにしてもらったことと同じことをしてあげた。グレッグの細い指をアヌスに入れられながら、クウェンティンは思った。確かに、これには慣れていくことができそうだと。 *
ふたりがジムに行ったのは、その日が最後だった。クウェンティンが病気でないことは、グレッグも知っている。彼の恋人がトイレの個室に駆けこんだのは吐き気のせいではないことに気づいていた。涙の跡が見えていた。彼はクウェンティンのことを充分知っている。目に浮かぶ恐怖の色に気づかぬはずはなかった。それよりも、グレッグ自身、同じ感覚を味わっていたから。 だが、これは一体、何を意味するのだろう? 疑問が心の奥で燃え盛った。もし、気の狂ったベル博士が作ったモノのせいで、自分からまさに男性性の部分だけ奪われるのだとしたら、その後の自分はどうなるのだろうか? クウェンティンはどうなるのだろうか? そして、最も重要なこととして、ふたりの関係に対してどんな意味を持つことになるのだろうか? ふたりとも、そんな苦悩と変化の時間に耐えきれるだろうか? そうあってほしいとグレッグは思った。いや、嘘だ。期待はしていない。自覚している。これまでふたりはずっと一緒だった。ゲイだということで、家族から疎外されて、知らない人たちにからかわれ、友だちだと思っていた人々から変な目で見られても、ふたり、耐え続けてきたのだ。そして、堂々とカミングアウトしたのだ。今度のことも、これまで歩んできた道に、また別の障害物が現れただけだ。そして、障害物は何であれ、ふたりで乗り越えて行くのだ。 そう思いながら、グレッグは強くなろうと決心した。その役割を担ってきたのは、ずっとクウェンティンの方だった。彼は精神的に非常にタフだった。いかなることにも負けることがない。彼は、自らは恥ずかしがって言わないが、人生における自分の立ち位置をいつも心得ていた。この人生が彼にもたらすものを、しっかりと受けとめ、獲得し、思った道を進む。それがクウェンティンだ。グレッグは、自分なら、クウェンティンが経験したことに耐えきれないだろうと思った。だが、今は違う。自分も強くなるんだ。今度は俺の番だ。 グレッグは思った。クウェンティンは人生で初めて、自分の立ち位置がどこか、自分が何者になろうとしているのか、分からなくなっていると。それに恐怖を感じている。それがグレッグには見えていた。 クウェンティンのそばに行き、大丈夫だよと言いたい気持ちがいっぱいだった。だが、できない。多分、嘘をついて、すべてがうまくいくとクウェンティンに話すことができなかったから。本当にうまくいくか分からなかったから。もっと言えば、これからの何ヶ月は、ふたりにとって、極度に過酷な時間になるだろうと思っていた。 なので、グレッグは自分自身が抱く恐怖を隠すことにした。彼の能力では、そうすることが、クウェンティンを慰める限界だった。グレッグは恐怖心を奥深くに埋め、決して陽が当らないところにしまいこんだ。クウェンティンの心にはもっと注意を払うことにしよう。そして、ジムのような、彼を当惑させる状況におちいることがないよう、巧く導いてあげることにしよう。 グレッグは自分の筋肉も減っていることに、すでに気づいていた。ふたりとも肉体が縮小していることに気づいていた。彼自身、13キロも体重が落ちていたし、クウェンティンも似た量、落ちているだろうと思っていた。だが、クウェンティンの場合、一気にすべてに気づかされたのだろう。その様子だった。これは、彼には痛撃だったろう。そして、その日のジムで、クウェンティンの中の何かが壊れてしまったのだ。それは決して直らない。 その夜、グレッグはひとりベッドの中、恋人の心の痛みを悲しんで、さめざめと泣きつづけた。 *
男たちが行くのを見て、あたしは、ほっと安堵の溜息をついた。クリスティもあたしの腕を離した。ベティは、パッと明るい笑顔をあたしに見せた。完璧と言えるような歯並びの真っ白い歯が見えた。これならどんなハリウッド女優とも張り合えそうと思った。そして彼女はあたしにウインクをして見せた。 「あのバカ男たちのことは気にしないでね。あの人たち、警察のことを口に出せば、無害だから」 「ありがとう」とあたしは感謝した。 「ほんと、ありがとう!」 とクリスティも。ようやく娘は声が出せるようになったらしい。 あたしたちはベティの後について、お店の中央部に出た。目の前にはベティの、完璧な形のお尻があって、左右に揺れている。太腿の真ん中あたりまでの丈のミニスカートを履いていて、そこからいい色に焼けた太腿が露出していた。ベティの素敵なお尻に、目を釘づけにしながら、歩いた。 「ふたりとも、ちょっと怖気づいてしまったみたいね。私がお店の向こうに行って、ちゃんと男たちが出て行ったか見てくるわ」 ベティはそう言ってあたしに近づき、またにっこり微笑み、フレンドリーな感じで、握手の手を差し出した。 彼女は、ほとんど露出したあたしの胸と、そこにくっついたままのベトベトに吸い寄せられているみたいに、そこに視線を向けていた。彼女、たぶん、このベトベトが何であるか分かったかもしれない。そう思ったら、頬が熱くなるのを感じた。 「私はベティ」 彼女はそう言い、人懐っこそうな目であたしを見て、握手をした。 ベティは、あたしがあのバス停にいた女だと覚えているはず。だけど、知らないフリをしているのだろうと思った。多分、クリスティがいるので、お互いのプライバシーをクリスティに知られたくなかったからだろうと思う。あたしは、そのベティの配慮がとてもありがたかった。 「ハイ、あたしはケイト。そして、彼女は娘のクリスティ」と握手しながら答えた。 「娘?!」 ベティはちょっと驚いたみたいで、愛らしい目をまん丸にした。 その反応から、ひょっとすると、ベティはあたしたちがビデオ・ブースで何をしていたか知ってるのじゃないかと思った。そう思ったら、なおさら頬が熱くなるのを感じた。ベティにもあたしが頬を赤らめてるのが見えていたはず。 「本当に仲のいい、母娘なのね」 とベティは言い、すぐに急いでつけ加えた。「お店を閉めちゃうことにするわね。オフィスの奥に流しがあるの。そこで身体を洗い流すことができるわ」 クリスティは、あたしに素早く目配せし、ベティの後について行った。ベティが正面ドアに鍵をかけ、OPENのサインをひっくり返すのを目で追いながら。 あたしは、できるだけ早く娘とこの店から出たいと思っていたけど、もうひとつ、ここにいて、ベティのことを見ていたいという気持ちもあった。ほんと、ベティには何か魅力的なところがある。何か、あたしの心を捉えて、ここにいたいという気持ちにさせるモノが。……彼女の身のこなし? それとも、彼女の素敵な肉体? あたしには分からない。彼女のことについて知りたいことがたくさんあった。ピアスをした乳首についてとか、あのバス停での彼女の行為についてとか。 店の奥に行くと、ベティは小さなオフィスの中に設置されている流しを指し示してくれた。あたしは、小さなナプキンを持っていたので、それを濡らして、胸の谷間についたスペルマや、脚の間のベタベタを拭った。ベティにあたしが完全な淫乱女だと思われないように。 「あの男たち、前に見たことあった?」 とあたしは、胸のところをきれいにしようと、少し胸をはだけながら、ベティに訊いた。 ベティの目が、一瞬だけ、あたしのはだけた胸元に降りて、すぐにあたしの顔に戻るのを見た。 「いいえ、初めてね、この店では。この店には、普段はもっと下品な男たちが来るの。あの男たちはオフィス勤めの人みたいだけど」 あたしは、ドレスに染みがついているように見えたので、ちょっとドレスを引っぱった。その結果、一瞬だけ、ベティに乳首を見られたと思う。ベティは、ちょっと目を見開いたあと、すぐに目を反らした。だけど、彼女の呼吸が早くなったのは確か。あたしは、ベティは、同性愛には興味がないかもしれないけど、他の女性の肌を見ると興奮する人なのかもしれないと思い始めた。 「いずれにせよ、あたしたちを助けてくれて、本当にありがとう。どうやってお礼をしてよいか、分からないわ」 と濡れたナプキンを捨てながら言った。 「あら、そんなのいいのよ。助けになれて嬉しいわ」 「少なくとも、いつか、あなたをランチに招待させて。うちの家の庭でゆったりしながらランチを食べたり、なんなら、今度プールを作るから、それができたら、浸って遊ぶのもいいかも」 あたしは、今度、庭にプールを作る計画があることを伝えた。あたしも、主人も、家にプールがあると、若い女性が遊びに来ても、楽しめるのじゃないかと思っていた。 「それって素敵ね。是非、行きたいわ。あなたたちふたりも、こうして知り合いになったわけだから、時々、ここに遊びに来てね」 とベティは言い、ウインクした。 そして、あたしたちは、ベティと電話番号を教え合い、支払いを済ませ、お店を出た。 つづく
次の他の変化に気づくまで、ほぼ1ヵ月がすぎた。今度は、ふたりがジムに行き、いつものようにウェイト・リフティングをしていた時だった。クウェンティンが、いつもの重量を、普段の半分の回数すらリフトできないことに気づいたのである。振り返って思い出してみると、確かに、徐々に筋力が衰えていた。だが、クウェンティンは、それをストレスのせいか、あるいは、よくある小さな変動にすぎないと、無視していたのだった。 だが、この時、胸からバーベルを持ち上げようとあがきながら、はっきりと自覚した。自分は弱くなっている。それはグレッグも同じだった。ふたりとも、いつも、同じウェイトを同じ回数、行っていたから。クウェンティンは、エクササイズを終え、ウェイトを棚に戻し、立ち上がった。 「ちょっと気分がすぐれないんだ」 クウェンティンは、そうグレッグに言い、そそくさとロッカールームに入った。運動着を脱ぎ、鏡の前に立った。はっきりと目に見えて分かるわけではないが、自分の身体である。はっきりと分かった。彼には、筋肉が大きくやせ細っているのが見えた。前なら、筋肉が隆起し、その隆起の間に深々と谷間ができていたのに……確かに、隆起は見えるが、前ほど隆々としたものではない。確実に筋肉が落ちている。 身長はどうだろう? これははっきりとは分からなかった。クウェンティンは背筋を伸ばして立ち、周囲の物と比較し、相対的にどうだったかを思い出そうとした。ああ、やっぱり。これは想像ではないのだ。実際に、背が低くなっている。多分、3センチから5センチくらい。前は183センチはあったのだが。 ひと月前、クウェンティンはグレッグの前では、何でもないといった体面を繕った、だが、実際は、心の中、全然穏やかではなかった。 クウェンティンは、これまでずっと、自分の身体の大きさに頼ってきたところがあった。この身体が彼に自信を与えていた。もちろん、意識の上では、逞しい身体だけが自信の元であったわけではないが、逞しい身体が彼の個性の中核を占めていたのは事実だった。 したがって、その筋肉が失われかかっている今、彼がトイレの個室に入り、便器にうずくまるように座り、声も立てずに、ひっそりと頬を涙で濡らしているのを見ても、その理由を理解するのは、難しいことではない、 だが、クウェンティン自身にすら、その涙の理由ははっきりと分かっていたわけではない。彼は、ただ、彼の世界がぼろぼろと砕け落ちていくような気持ちだっただけである。彼は便器に座ったまま、前のドアを見つめながら、ほぼ5分間、涙を流していた。そして、馴染みのある声が彼に問うのを聞いた。 「クウェンティン? ここにいるのか?」 グレッグの声を聞き、クウェンティンは鼻を啜り、顔から涙をぬぐった。 「ああ、ちょっとだけ」 クウェンティンは立ち上がり、トイレのドアを開けた。そしてすぐに洗面台に行き、顔に水を当てて洗い始めた。グレッグに顔を見られないように注意した。こんな顔を見せたら、性格の弱さをあからさまに見せてしまうようなものだ。そうクウェンティンは思っていた。そんな顔を恋人に見せるわけにはいかない。 クウェンティンは肩に手をあてられるのを感じた。優しく擦ってくれている。顔を上げると、そこにはグレッグがいた。 「大丈夫か?」 「ああ、ちょっと気分が良くなかっただけだよ」 とクウェンティンは嘘をついた。 「本当か?」 グレッグはしつこく聞いた。 「ちょっと、吐き気がしてね」 「なんなら、今日は仕事を休んでもいいんじゃないか? そうだよ。家に戻ろう。そうすれば、明日には気分が良くなっているさ」 とグレッグは提案した。 「そうだね」 クウェンティンはそれしか言わなかった。明日になっても、この悲しみが癒えているわけでは決してないのは分かっていた。これは、永遠に治らないし、進行が止まるわけでもないのだ。 *
声というのは不思議なものである。確かに、単なる声にすぎない。だが声は非常に多くのことに影響を与える。しかも、非常に繊細な影響を。心理的に見て、甲高い声というものは弱さを連想させ、その後、そのような声の持ち主を、より従属的な気持ちにさせることになるということを理解するのは難しくないだろう。 今、そのような印象のいずれも、人々の心の前面に出ているわけではない。だが、それは確かに存在しており、各人の意識から隠れたところで顔を出しているのである。そして、それゆえ、突然、非常に公の場で、非常にあからさまな形で女性性を見せざるを得ない状況に押しやられた白人男性たちの多くは、自分たちを、周囲の人々が以前とは異なったふうに扱う傾向にあることを知ったのである。白人男性は、何かの責任を持たされたり、何かをリードする立場になる可能性が少なくなっていた。たいていの場合、言葉で反論することは避けられるようになった(もっとも、逆に以前より攻撃的になるという形の補完をした者もいることにいるが)。そのように、多くの白人男性の性質が、少しずつ変化し始めたのである。 たいして大きなことではない。声というものは。だが、声は、小さな点ではあるが、強力なものでもあるのである。 白人男性のイメージが、たった1年足らずで、こうも劇的に変化してしまったことの理由として、声以外の変化にしがみつく人もいるだろう。だが、やはり、声が基本なのである。声から変化が始まった。が、声では終わらないのは確かだろう。 声が変わってから2週間後の朝だった。またシャワーを浴びていた時だった。グレッグは何か様子が変であることに気づいたのだった。陰毛が全部抜けてしまっていたのである。グレッグもクウェンティンも相手がつるつるの肌をしているのを好む。なので、ふたりは定期的に体毛を剃っていた。ただし、ふたりとも陰毛は残していた。それなのに…。 グレッグは、排水溝に毛が渦巻くのを見て、小さな悲鳴を上げた。次の変化が生じたのだと。 彼は素早く泡を流し、シャワーから出た。鏡を見て、心配したことが現実化しているのを見た。顔には、まゆ毛のほかはまるっきり体毛がなくなっていた。クウェンティンも同じ変化に直面しているだろうと思った。 ベル博士の警告が現実化しつつあるのか? そんなことがありえるのか? 政府は、ありえないと人々に言い続けている。何も心配することはないのだと。だが、グレッグは、完全に無毛になっている自分の身体を見ながら、政府は、変化しつつある世界に平穏を保つための手段を講じているにすぎないのではないかと思わざるを得ないのであった。 バスルームを出て着替えをしようとした時、クウェンティンが目を覚ました。グレッグは、この出来事のことを話し、彼に訊いた。 「どう思う?」 「この件について? 分からない。それほど大きなことでもなさそうだ。少なくとも僕たちにとっては。いや、これからは毛剃りをしなくても済むわけだろう? だったら大きなことかも」 「いや、何も体毛のことだけについて話してるわけじゃないのは知ってるだろ、クウェンティン? 他の変化についてはどうなんだろう? 例えば……」 クウェンティンは立ち上がって、先を言おうとするグレッグを遮った。 「なるようにしかならないよ。僕たちにできることは、ほとんどないんだから。そうだろ? ところで、さっきの返事はジョークだからね」 グレッグが返事しようとするのを見て、クウェンティンはさらに続けた。 「僕たちが身体から筋肉が落ちたからって、何だと言うんだ。僕たちの身体が変化したって気にするもんか。身体が変わっても、僕たちは前と同じ人間なんだから。愛しあってるふたりなんだから」 「でも僕たちのペニスは? もし……」 とグレッグは声を途切れさせた。グレッグは、声が変わって以来、ずっと、このひとつの変化について心配を続けていた。小さなペニス? クウェンティンを喜ばすことができなくなったら、どうなるのだろう? クウェンティンは僕の元を離れてしまうだろうか? あるいは、さらに悪いこととしては、クウェンティンは僕の元に留まるものの、いつも満足しておらず、不幸のままでいることになるのだろうか? 「寂しくならないと言ったらウソになると思う。でも、君に知っててほしいことだけど、僕たちが一緒にいるのは、単なるセックス以上の理由からだからね。そうだろ?」 とクウェンティンは訊いた。 グレッグは、おずおずと同意した。ちゃんとそれは分かってる。頭の中では、ちゃんと。でも、何か自分の中に、明らかに男性的な何かがあって、何ヶ月かのうちに自分が恋人を喜ばせることができなくなるかもしれない事実を認めることができないのであった。とは言え、グレッグは、自分の不能さでクウェンティンを悩ませたいとは思っていない。だからグレッグは、この手のことを考えることはやめ、心の奥底にしまいこむことにした。 「だからと言って…」とクウェンティンは、グレッグの腰からタオルを剥がしながら、続けた。「だからと言って、それまでの間も、僕たちが持ってるモノを楽しむことができないということにはならないよね」 クウェンティンの手はグレッグのペニスを探り当て、それを握り、優しく擦った。そしてグレッグをベッドへと導いた。 ベッドまで来ると、クウェンティンはグレッグを押し倒し、彼の上に覆いかぶさった。ふたりはもつれ合いながらキスを始めた。クウェンティンは股間をグレッグの勃起しつつあるペニスに擦りつけた。 そしてふたりは愛しあった。その間、心配事は一切、ふたりの頭から消えていた。ふたりだけの世界。その時、ふたりが必要としていたのは、それだけだった。 *
その後、ペグはキャシーの身体を引っぱり、床に降ろした。キャシーは、まだ息を荒げたまま仰向けになっている。そして、そのキャシーの上にペグはまたがった。 ペグは僕を見上げ、ニヤリと笑った。両手でキャシーの乳房を揉み、乳首を弾いたり、つねったりをする。その間にキャシーは我に返ったようだった。 「ちょ、ちょっと!」 そう言い、両腕を突き出し、ペグの身体を押しのけようとした。 「手伝いなさいよ!」 とペグが僕に言った。 僕はキャシーの両腕を掴んだ。するとペグは、少しだけ腰を浮かせ、その下にキャシーの両手をねじ込み、動けなくさせた。 「キャシーに抵抗をやめるように言って」 僕は唖然として、ペグを見つめていた。 「リラックスするように言うのよ!」 ペグは威圧的な大声で言った。 僕はキャシーに顔を近づけた。 「キャシー。りラックするんだ」 「どうして私にこんなことをするの?」とキャシーが言った その声を聞き、僕は彼女が今にも泣き出しそうになってるのではないかと思った。 「喜んでいないなんて、言わせないわよ」 とペグは言い、クスクス笑った。「今度は、あなたが私に恩返しする番ね、淫乱ちゃん!」 それを聞いてキャシーは泣きそうな喘ぎ声を上げた。 「キャシーにするように言いなさい。彼女にキスして、ヤレって言うの」 僕はキャシーの隣に位置を変え、キスをした。そして「やるんだ」と彼女の耳に囁きかけた。 ペグの方を見ると、彼女は立ち上がっていた。パンティを脱いでいるところだった。そして、裸になる。 妹の裸体は見たことがなかったが、まさに想像した通りのスリムな体だった。 ペグは足を使って僕の頭をキャシーの上から押しのけ、彼女の顔の上にまたがり、そして腰を沈めた。 僕はその隣に正座していた。ペグは僕の顔を引き寄せ、キスをしてきた。妹の舌が僕の口の中に入ってくる。 そしてペグはまた僕の耳元に唇を寄せた。「楽しんでる?」 その夜、僕はキャシーのアナルを犯した。キャシーは、僕に犯されながら、ペグの女陰を舐め続けた。彼女は、ほとんど一晩中、ペグを舐め続けたように思う。ペグは、キャシーに舐め続けられながら、僕のペニスを口に入れた。……もっと言えば、ペグは僕のを根元まで飲み込んだ。僕は圧倒されていた! 明け方、僕とペグは車に乗り、キャシーの家を去った。キャシーを放置して。彼女は、リビングルームの床の上、素っ裸のまま、ぐったりと横たわっていた。 「カリフォルニアに戻らない?」 とペグが言った。突然そう言われた。僕は唖然とした。 「ジーンはどうなる?」 「彼女はお兄さんとは別れるんじゃない? サンドラと一緒になるわよ」 「キャシーは?」 「キャシーなら、カリフォルニアにいっぱいいるわ」 おわり
もう一度だけクリスティに目配せして、外に出ても大丈夫か確認した後、ドアを開けた・薄暗い廊下に出るとすぐに、出口のそばに、例のふたりの男がいて、あたしたちを見ているのに気がついた。さっきと同じふたりだけど、表情がまるで変わっていた。まるで、街角に立っている安い娼婦を見るような顔で、ニヤニヤしながらあたしたちを見ている。上下に視線を走らせ、あたしたちの身体を見ていた。 「これまでで最高のフェラだったぜ。ありがとよ!」 背の高い男があたしを見て言った。 ふたりともあたしたちの方に近づいてきた。あたしたちの行く手をブロックするかのように廊下を塞ぎながら。あたしはちょっと不安になってきて、ふたりから目を離さないまま、クリスティの手を握った。 「お礼はいいわ。ちょっといいかしら……」 と言い、この場から出ようとした。 「あんたと娘さんは、こういうことをしょっちゅうヤッテるのか?」 ふたりはあたしたちのすぐ前に立ちふさがった。あたしとクリスティは本能的に後ずさりした。ふたりとも背中が廊下の壁についていた。 「あたしたちが何をしようと、あなたたちには関係ないでしょ!」と、あたし。 クリスティはあたしの腕にしがみついている。明らかに男たちを怖がっている様子。あたしは落ち着いて、毅然とした態度を取っているように見えるよう、精一杯、頑張っていた。 「ほほー! だけどよ、あんたとあんたの可愛いお譲ちゃんは、あそこで俺たちのちんぽをしゃぶったんだぜ? 関係ねえわけがねえだろ! さあ、あんたたちふたりとも、仕事をフィニッシュしなくちゃいけねえと思うぜ。淫売にふさわしく、今度は一滴残らず飲み下して欲しいね」 背の高い男は自信満々のオーラを放っていた。一方の背の低い方は、一言も言わなかった。 この男、娘の前だというのに、よくもあたしのことをそんなふうに言える! 男の言ったことに怒ってはいたけど、内心は怖がっていたのは認めざるを得ない。あのフランクがストリップ・クラブであたしに迫った時のように怖かった。諦めなくちゃいけないの? そんな気持ちが心の中に忍び込んできて、身体が凍ってしまい動けない。 「お願い、トラブルは嫌なの。あたしたちを行かせて!」 「そうして、最高のフェラを逃すって? おまえ、バカか? ごちゃごちゃ言わず、そこにひざまずいて、ちんぽを吸えよ!」 と男あズボンに手をかけた。中から出そうとしている。 その時、「おい、そこで何やってる!」と、どこからともなく声が聞こえた。 ふたりのバカ男の向こうに目をやると、廊下の入り口に人が立っているのが見えた。 「な、何でもないんだ。カウンターに戻っていいよ。問題ないから!」 と背の高い男が返事した。 もう一人の背の低い男は、ちょっと不安になっている様子で、きょろきょろと視線を相棒と、入口に立つ人影に行ったり来たりさせた。 「あたしたち、このふたりに脅かされているの! お願い、あたしたちを助けて!」 あたしはできる限りの大声で叫んだ。 すると、ふたりの卑劣男は、一歩、後ずさりした。向こうに立つ人影はどんどん大きくなり、はっきりと姿が見えた。 何と、ヒスパニック系の女性だった。肩までの長さの黒髪で、110センチはありそうなEカップの胸。身体にぴっちりのTシャツを着てて、その中にある大きなニップル・リングの輪郭が浮き出ている……。この人は、ベティだわ! 彼女を見て息が止まりそうになった。こんなことって信じられない! 本当に、あのベティ! バス停にいた可愛い女の子! 「あんたたち、このふたりを脅かしてるって?」 ベティはふたりの卑劣漢を睨みながら、まるで歌うように節をつけて言った。 「いや、俺たちは、ただ遊んでいただけさ。楽しんでいたんだよ」 ベティがあたしたちを見た。彼女の黒い瞳と目が会い、あたしは心臓がちょっと高鳴るのを感じた。彼女はしばらくあたしを見つめていて、唇にかすかに笑みが浮かべたようだった。それからクリスティにも目をやった。ベティは、あたしたちが恐怖に顔をひきつらせているのを認識したと思う。でも、それより、何より……彼女、あたしのことを分かったみたい。そんな感触があった。 「あなたたち、私が警察を呼ぶ前に、この店から出た方がいいわよ!」 きっぱり自信を持った声でベティは言った。 彼女が、この種のトラブルを扱いなれているのは一目瞭然だった。 「分かった、分かったよ。トラブルはごめんだ。おい、ジェイク、行こうぜ」 と背の高い男は言い、ふたりはあたしたちを睨みつけながら、向こうに立ち去った。
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